秩父宮―昭和天皇弟宮の生涯

最近まで天皇家に対する関心がほとんどないため,宮家の関係,皇族にどういうひとがいらっしゃるのかは全く知らなかった.まぁ,私の世代で秩父宮昭和天皇の弟宮であるなんていうことはほとんど知らないと思う.
最近,すこし興味が出てきたので,まずはこの2・26事件に絡んだかもしれないというこの宮様の事を調べることにした.
この本の結論では2・26はあっさりと無関係であるとされ,昭和天皇をはじめとする皇族が一致団結したとされる.多くの確証も得られているようで,正しいとは思うが,木戸を初めとする重臣は秩父宮をかなり警戒をしていたようだ.
そもそも皇族が陸軍士官学校を経て軍人になるのは,秩父宮がはじめてであり,周りの見る目も決起将校に同情的であると見られがちであった.
その後,弟の高松宮と志を同じくし,皇族が政治に口を挟むべきではないとする昭和天皇と対立していく.解説の半藤氏によると,秩父宮皇道派*1に属していたために,軍部から疎まれ始めていたのではないかといわれている.また,英米の留学の経験と,ヒトラーに対する嫌悪感から,最後まで三国同盟については反対であったという.
戦中は結核のためにほとんど隠棲生活を余儀なくされてしまったが,もし元気であったなら,もしかしたらもう少し戦争は早く終結したかもしれない.いや,高松宮ですら無理だったのだがら,結局,無理なのかもしれない.
結核の原因となったが,極端な努力による圧倒的な勉強量にあり,秀才揃いの陸軍幼年学校でもトップに近い成績だったらしい.それも多くの行事をこなしながらである.純粋に尊敬する人が周りに増えるのも無理はない話だ.

秩父宮―昭和天皇弟宮の生涯 (中公文庫)

秩父宮―昭和天皇弟宮の生涯 (中公文庫)

*1:統制派は中国一撃論であり,中国との早期の停戦に慎重であるべきだとしていたが,秩父宮は対ソ戦重視であり,中国との早期停戦を望んでいた