the ceremony in our life

親戚の結婚式と披露宴に参加した.親族として結婚式から参加するのははじめてで,友人として参加しただけではよくわからなかったが,その大変さがよくわかった.結婚はその形態が変わってきたとはいえ,やはり家というものの存在を大きく意識させられる.特に,両親のお二人は気を遣う連続で,気が休まる暇がない.
結婚式は最近としては普通だったのかもしれないが,どちらかといえばハデな式の方だったと思う.式や披露宴では様々な演出が用意されていた.ただ,型にはまった一連のプロセスの中にあり,やはり儀式的な側面が大きいように思う.そういう意味ではお葬式のプロセスと似ていた.標準的な効率の良いプロセスだとは思うし,それはそれで楽なのだとは思うが,だとしたら,もっと簡素化しても良いのではないだろうか.
ただ,そのようなたくさんの人に祝福される儀式として通過することが大切だという,その意義はなんとか理解できるのだけれど.
個人的には食事のボリュームが少なくて嬉しかった.よく考えられ,顧客のニーズに応じた最適化が図られている.例えば,ステーキはほとんどさいころステーキのようだった.しかし,それくらいがちょうどよい.それまでに,お昼はお昼で色々頂いたりしているので,それほど空腹ではないし,友人側はこれから二次会があるだろうから,あまりおなかを大きくする必要もない.そういう意味で,料理は少なくても良いのだろう.
ところで,忘れていたが,花嫁の両親には感動的な演出があった.普段はいえない両親への感謝というのはそれだけで感動するものだし,両親から離れて暮らすというとなおさらなのだろう.
披露宴から帰ってきてぐったりしたが,お葬式に出るよりはまだいい.周りの人から次は私の番だねといわれるのが,うざかったけれど.