花巻

新幹線で新花巻へ移動した。ただ、社内で前日の地震の影響により、釜石線が止まっていること知る。そんなに大きな地震でもなかったと思ったが。ただ、代行バスが出て、遠野に移動することができた。遠野ではゆっくりしたかったのだが、交通機関がいまいち悪く、レンタルサイクルくらいしかないため、色々回ることができなかった。午後は花巻へ移動し、宮沢賢治記念館へ。二度目の訪問だったが、大変面白かった。というのも、ガイドの人が宮沢賢治にまつわる不思議な因縁を話してくれたからである。

  • 生まれた年と亡くなった年に、東北に地震があり、津波で大きな被害を受けている
  • 勉強はできたらしい。現在の岩手大学の二部に入学しているが、二部というのは夜間という意味ではない。この二部に主席で入学している
  • 雨ニモマケズ」という詩があるが、元気なときに書いたものではない。自分が重篤な状況にもかかわらず、「そういうものに私はなりたい」とはどういうことか?賢治は自分の命数がつきかけていることを十分知っていたはずだが。
  • 雨ニモマケズ」の内容は仏教の精神を書いたものである。東西南北は仏教の四苦に対応している。
  • 若い時代にアインシュタインの来日に遭遇し、物理学をかなり勉強したらしい。そしてその成果が「銀河鉄道の夜」につながる

特に私が関心を持ったのは、メモを見るに、仏とくに法華経の信仰について、最新の科学理論と結びつけようとしている試みを行なっていることである。つまり、信仰にあらわれる世界観を科学的に説明できないか試行錯誤している。
また、宗教で対立していた浄土宗の信者でもある父親は、賢治の死後に、法華経に改宗しているのにも驚いた。ただ、法華経との出会いが浄土宗の僧侶の話を聞いてというのも面白い。そして、商売が向いていない自分、実家が裕福で、質屋をやっているということに対する罪悪感、そういうものが信仰と、後の童話の創作にも現れている。たとえば、商売人はたいてい、彼の童話の中ではひどい目にあってしまう。ベニスの商人のようなキリスト教的な価値観にもある種繋がる話でもある。
閉館ギリギリまでいたが、結局全部見きれず。もう少し知識を多くしてから再訪したい。

この日は盛岡市内で一泊。駅ビルが充実していて、地下も広くなっていた。他の地方都市の駅前の寂れ具合を知っているため、ずいぶん、盛岡駅前は頑張っている。ホテル近くのジャジャ麺やさんで夕食。チータンタンのやり方も忘れていた。腰が無いゆるゆるな麺がうまい。人を選ぶ食べ物ではある。
大通りのアーケードの形が少し変わったような。