アウトローの合理性

いびつな絆 関東連合の真実

いびつな絆 関東連合の真実

メディアで有名になった関東連合という組織に属していた人が書いた手記である。どこまでが真実なのかはもちろんわからないが、あまりに身も蓋もない内容なので、真実味がある。
たとえば、組織同士の抗争に勝つにはどうしたらよいか。対立する組織の関係者が武器を持っておらず、一人になっているときに、大勢の人間で武器を持って拉致し、監禁して、徹底的に暴虐の限りを尽くす。そこにはなにも美学はない。確実な勝利のため、情報を徹底的に集め、あらゆる手段を使って、敵の油断している時を襲う。
他にも、なんらかの事件、たとえば海老蔵事件があると、有能な弁護士を雇い協議を重ね、できる限りの準備を行い、少しでも軽い刑を得られるようにする。そればかりでなく、あらかじめ、犯罪をおかす前に、どのようにすれば刑を軽くできるかということについても、考えておく。
以上のことから言えることは何か?どんな集団でも、単に腕っ節がいいだけでは、トップにはなれない。周到な準備と計画、状況として有利な方向に持って行き、リスクを減らして、確実に対立組織に勝利する。本書にもあるが、決して喧嘩が強い人間がトップに立てるわけではない。むしろ、臆病な人間がトップに立てる。
関東連合は誤認殺人と、その後のメディアによる報道で、一気に瓦解していく。準備を怠り、曖昧な情報と曖昧な計画、不慣れな構成員による強襲によって、歯止めがかからず、取り返しがつかないことになってしまった。それは、当然の結果であった。
彼らは、東京でも比較的裕福な地域である、杉並区や世田谷区の出身であった。だからこそかもしれないが、彼らの戦い方はある種の合理性がある。非合理な戦いに美学を見出したりしない。また、集団というものがどういうもので、それを統御するためには、一体何が必要なのかということもよくわかっていた。
だが、対立の激化に伴い、いわゆるヤクザ組織と関係を深めるようになって、その種の組織が持つ別の種類の合理性に全く馴染むことができず、焦りから、あまりにずさんな事件を起こしてしまった。
六本木や西麻布では、彼らは大きな存在だったらしい。それが彼らに優越感をもたらしていた。芸能人にも、美しい女性にも縁があれば、その地位は捨てたくなかったのかもしれない。そして、強い味方となる仲間もいれば、きっと楽しかったはずだ。しかし、それが永続的なものでないことは、ヤクザ組織の持つしたたかな合理性と比較すれば、明らかだった。