ダメなときほど運はたまる

この本に書かれていることは、気休めや一種のオカルト、まあ、たしかにそうなのかもしれない。だが、著者である萩本欽一さんが遭遇したいままでのエピソードが面白くて一気に読めてしまう。
自分はまったくお笑いに向いていなかった、でもお金が欲しくてとびこんだら、運が良くて売れた。運が良かった。そう言い切ってしまうことはなかなかできない。自分には才能があって、それが花開いたのだ、そう信じたい。でも、運なのだ、と躊躇なく著者は断言してしまう。確かに、そう思えてくる。
初めての舞台で著者はたった3つのセリフすら言えない。極度の上がり症なのだ。他にも、台詞が覚えられないから、番組自体をハガキを読むフォーマットにしてしまったり、アドリブばかりをするようになってしまう。だが、それが受けた。まあ、運が良かった、というよりも、諦めなかったということのほうが正しいような気がする。ダメなときほど運が貯まる、ということは少しダメなくらいで諦めるなということでもある。そして、本書にもあるが、ダメからスタートすると、ハードルが低くなるので、伸びやすいという。これは、もうオカルトというよりは、一種の自己啓発に近い。
本書の最後には運だけで野球に勝つという、ほんとうかどうかよくわからない話がある。ただ、野球の練習とは、本番になった時に自分を信じられるようにすることだ、ということを聞いたことがある。「これだけ練習してきたのだから絶対大丈夫なはずだ」と。とすると、「お前は運があるから、今日は大丈夫だ」というのも、同じくらい大きな力を持つことになるともいえる。それが本当かどうかはともかくとして。
不安な状況を乗り越えることができて、人は大きなものを手にすることができる。その時に何か信じられるものがあるとするなら、それはとても大きい力となる。それは神、あるいは運でもなんでもよいのだ。