応徴士

先日の暗黒日記の応徴士が気になったので検索したが、ほとんど出てこない。しかし、その中にも面白い内容が出てきた。

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その頃はどこの家庭でも、戦力の一翼を担い得るものならばと、鍋釜、鉄びん、火鉢などの鉄製品を、時には現在使用しているものであっても惜しむことなく供出した。
 ところがだ!。それら家庭の必需品は会社の空地に山積されていた。しかもそこで適当な品と思えば従業員たちが持ち帰ったりしていた

そんなことだろうと思っていた。
重要なのは、供出された物質そのものではなく、人々を苦しめ、追い詰めることが重要なのだ。つまり、国のことであれば何でも言うことを聞く精神状態を、国民の中に作り出すことが目的なのである。為政者はそういう「利他的な」つまり、自己の欲求から離れ、国のために尽くす行為が「美しい」と思っている。

現場は日増しに仕事がなくなっていった。共栄圏として期待した南方からの物資は全部途中で撃沈されてしまうからだ。

暗黒日記に書かれていたとおりだ。人だけ増やしても、精神を向上させても、どうにもならない。
物がないので人の資源も有効に活用できなくなる。

8月15日、無条件降伏の詔勅の結果、かえすがえすもいまわしい戦争の幕は閉じたのだが、我が応徴士としても仕事は放免とはならなかった。あちらへ移りこちらへ変り、最後はベンゾールのドラム空缶処理を一人で担当していたこともあり、その整理に手間取り、解放されて帰宅し得たのは10月の末だった。

戦争が終わってからの方が忙しいというのも、皮肉なものだ。
民間で仕事をしていた人たちは、軍人よりもより戦争の矛盾、非効率さを実感したことだと思う。

また、朝鮮人も応徴士として強制的に徴用されたようだ。彼らは外国人ではなく、もはや日本人扱いなのである。

暗黒日記

今月からリングフィットアドベンチャーをはじめた。まだそんなにやっていないが、あまりに家に居すぎするので、ぼちぼちやっていこうと思う。

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戦前の人の日記を実際の出来事と比較しながら、見ていくのが面白い。当然、戦前の人なので、私たちとは価値観がまるで違うはずだが、この日記はまるで未来を見てきたかのような違和感が全くない日記である。

海野十三の「海野十三敗戦日記」と比較すると、面白い。対照的だ。小説家はどうしようもないと清澤は日記の中でいっていた。しかし、むしろ清澤の方が当時としては異常なのだ。

気になったところを書き出していく。

世界をユダヤ人と非ユダヤ人との二つに分つごとき單純な頭では、なに一つ解決はできぬ。ユダヤ人問題をいうものは、世界を複雜な形で論じ得ないものだ。この連中はモーゲンソー(米国の藏相)が、米国を参戰せしめたという。こういう單純な論理だから困る。

なんどもなんども繰り返して出てくる。戦前の知識人がいかにユダヤ陰謀論が好きだったのかがよくわかる。そして、それは「世界を極めて単純化して論じている」という。本当にその通り。今でも通用する。
誰か悪い人が、世界を悪くしていて、その人たちをなんとかすれば、よい世界になる。という考えは今でもあふれている。

重光は大のオポチュニストにて、今までとても軍部の色を見ては、ロンドンとモスクワから報告を書いていた。出世主義の尤なるものである。岸(信介)が居据ったのは満州ブロックのお蔭ならん。

重光の評価が低いことに驚いた。この後でもたくさん出てくるが、そこまで評価していない。まあ、もっとどうしようもない人たちがたくさん出てくるのだが・・・。

朝のラジオは「支那をあやつるのは米英である。蒋介石のみが取り残され、支那民衆は日本とともにある」といったことを放送した。この考え方は日支事変六周年になっても、まだ日本国民の頭を去らないのである。米英を撃破したら、支那民衆は直ちに親日的になるのか。支那人には自己というものは全然ないのか。

大東亜共栄圏の理念からはそう言わざるを得ないと思う。しかし、それがいかに空理空論なのか、自分の都合だけを考えている。日本ではそのような「絵空事」を、憲兵を使って強制できるのかもしれないが、あんなに広い中国で通用するはずがない。これでは、中国との和平はできず、日中戦争は続くわけだ。

H・G・ウエルズの The shape of things to come を読む。ウエルズは満州事変を出発点として、日本と支那は全面的戰爭になる。日本は支那に三度勝って、ナポレオンのごとく敗れる。それから日本は一九四〇年に米国と戰爭をするといった筋書きだ。

H・G・ウエルズの小説は、The Shape of Things to Come(邦題「世界はこうなる」)という小説で、当然発禁もの本のはずなのだが、清澤は読んでいる。

管理工場の社長を応徴士ということになった。応徴士服務規定によれば、
 事業主たる応徴士は、生産遂行の全責任を負荷せしめられたるの自覚に徹し‥‥戰力増強の責を果すべし
とある。政治もここまでくれば、滑稽を通り越して、子供の玩具である。彼らは社長を役人化して宣誓させれば、それで能率があがると考えているのである。
例のウエルズの書の中に「日本の当局者の頭脳は、狂人に近いもの」と言った意味のことあり。いかにも鋭く穿っていると感ぜざるを得ない。


こんなことをやっていたとは。そして、全く意味がない。
あと「穿つ」の正しい使い方だと思った。

アッツ島の山崎大佐が二階級とんで、中將になる。昨夜のラジオも新聞もそれで一杯、他の記事は全然ない。軍の命令であることは明らかだ。「鬼神も哭く」式の英雄は、もう結構である。願くば今後「玉碎的美談」出ずるなかれ。そして、作戰をして左樣な悲劇を繰返すごとき方途をとらしむるなかれ。

なかれ=することがないように、という意味だが、言外にそれは無理だろうという詠嘆があらわれている。

バドリオ政権の降伏から、日本の新聞はイタリアへの惡口が始った。例によって例のごとしである。
 白鳥などが新聞で談話を発表している。しゃあしゃあとして、「イタリアの任務終る」などという。言う者も、言わせる者も、健忘、驚くの他なし。
 毎日の論説には、「イタリアの降伏は、第一に今後戰線の整理がドイツの都合次第で行われる便があり、第二に足手まといのイタリア軍を計算に入れて作戰をたてる必要がなくなり、第三に貧国イタリアに武器、軍需品、石炭などを供給す

海野十三の日記には裏切り者のバドリオ政権が罵倒する文章がでてくるが、当然だが清澤はイタリアを持ち上げてきた白鳥大使などがそんなことをよく言えたものだとあきれている。新聞、すなわち当時の情報局(内閣直属の機関)は、イタリアはお荷物だからよかったと。むちゃくちゃな論理だが、もう、そういうしかなかったのかもしれない。みんな内心ではもうだめなことを理解しはじめたと思うのだが、必勝の信念ががたりないこともおおっぴらには言えなかったのだろう。だが、そういう現実を直視せずに、信念だけで何かを成し遂げようとするのは、個人の努力だけでなんとかなるものであればよいが、政治家や軍の上層部がそういう考えであれば、物量で押してくる国家に押しつぶされるだけだ。

重臣が東條を招待した。そのとき岡田啓介(海軍大將、二・二六事件当時の首相)が「戰爭はどこもパッとしないようだが」というと、東條は興奮して、「あなたは必勝の信念がないんですか」とプッと立ったという。
 また、若槻礼次郎(元首相・元民政党総裁)が、「作柄が心配だ」というと、東條は、「われら閣員は何を食わなくても、一死奉公やるつもりだ」と、これまた興奮したという。

東条というひとが真面目なことはよくわかる。そして、心を(精神を)正しく保てば、何でも叶うだというということを信じている。しかもそれは本心からなのだろう。逆に言えば、だからこそ、どうしようない。学校の先生にでもなっておけばよかったのに。

読売に風邪もユダヤ人の謀略であるという記事がのっている。それは秋田重季子爵の談だが、それには、「私の担当はユダヤの医学講演で、ユダヤ人医師は次から次へと病気をつくって、世界にバラまいている。こんどのイギリス風邪とか、チャーチル風邪も、ユダヤの製造に相違なく、彼らは現在借家人のくせに、大家の米英も毒殺し、あわせて世界中をやっつけてユダヤの天下を築こうという魂胆だ。これを断固として叩きつぶすのは、日本人の強さあるのみである」という。噴飯ものだが、これが現代日本の知的標準である。

すごい話だ。こんなことを貴族が考え、それが新聞に載るという。悪夢である。
しかし、人は正しいことを信じるのではなく、信じたいものを、すがりつきたいものを信じるだけなのだろう。

白柳秀湖が手紙をよこした。彼は、「徳義がすたれれば、戰爭に勝っても国が亡びる。国家永遠のためには、敗戰したほうがいいかも知れぬ」という。ここで彼は誤謬を犯している。第一に戰爭は何よりも道義心を破壞するものだということだ。第二はその戰爭の責任者は誰なのだ。彼や徳富蘇峰などが、最も大きなその一人ではないか。日本歴史や日本精神をムヤミに誇張し、相手の力を計らなかったのは彼らではないか。

戦争が道義心を破壊し、人の悪意を増長させるものだということ、人に対する哀れみを失わされることを述べている。もちろん中には立派な人が居ただろう。しかし多くの人は苦しみ、そして、治安は乱れ、後の日記にも出てくるが、人のものを盗んだり、善意を踏みにじる心のない人が増えていく。それが「ふつうの人間」なのだ。「ふつうの人間」を前提としない政治は悪夢だ。

日本には不敬罪がいくつもある。一、皇室、二、東條、三、軍部、四、徳富蘇峰――これらについては、一切の批判は許されない。

徳富蘇峰にも何度も批判をしている。それはつまり、いかに戦前のメディアが彼を頼っていたかがわかる。蘇峰も戦後の日記を出版し、私も読んでいるが、彼の考えというのがどうしても飲み込めない。彼の本心もわからない。

徴用者がむやみに多すぎ、どの工場も人間が遊んでいる。ここ半年ぐらい徴用をいっさい打ち切れと言ったら、大藏省の役人も賛成したという。

つまり、徴用して軍需工場に連れて行っても、仕事がないという。
国家が旗を振って、経済を動かそうとしてもうまくいかない。この頃の日本は官僚主導のまさに「社会主義国家」だ。ファシズム政権だから当然か。

戰爭というものの力を見よ。一晩のうちに何十万戸を燒きつくし、さらに残ったものを一片の命令書で取り壞すのである。米国の戰後処分をまたずして、すでに日本は日清戰爭以前の資産状態にかえりつつある。
 戰爭は文化の母なり、と軍部のパンフレットは宣伝した。それを批判したから、われらは非国民的な取扱いをうけた。
 いま、その言葉を繰返して見ろ! 戰爭は果して文化の母であるか? 恐るべき母。

「恐るべき母」???なぜ書いたのだろう。

沖繩の戰況がよいというので各方面で樂観続出。株もぐっと高い。沖繩の敵が無條件降伏したという説を、僕もきき、暸もきいた。中にはアメリカが講和を申し込んできたというものがある。民衆がいかに無知であるかがわかる。が、この種のデマは日本中に根強く伝えられているらしい。

沖縄戦が絶望的な状況になっているのに、楽観的なことを言う人が増えているという。もはやデマにすがりつきたいだけである。日記にはこのような記述は何度も出てくる。また、海野十三の日記にも、どんな状態でも楽観的なことを言う人がいたようだ。海野自身もそれを信じたいから日記に書いたのかもしれない。また、それを信じることが当時は、美徳とされていたのかもしれない。つまりデマにすがることが「必勝の信念」なのだ。だが、あえていえば、事実を冷静に判断できないから、それはほぼ必敗に繋がる。

今でも薄い根拠で自分の希望と予測を間違えている人たちがいる。そして、それらを信じたいがためにその主張を支持する。それは今でも何も変わらない。都合が悪い事実こそ、一番重要なことなのに。

日記は突然5/3で終わる。ヒトラーが自殺したところだ。清澤はこの後に唐突に肺炎で死ぬ。日記を見ると彼は戦後にこの日記を元に歴史を著述したかったようだ。どういうものにになっていたのか、見てみたかったが。

ところで、青空日記の青空 in Browsers はとてもよくできていてみやすい。

辞書にとりつかれた人々

辞書になった男

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袂を分かつことになった二人の辞書編纂者の物語である。概ね知っていた話でもあり、「ゆる言語学ラジオ」でも触れられていたが、本を読むとかなり違う印象になった。

ケンボー先生が怒るのも無理はない内容が多い。「事故」の件はともかくとして、一番怒りそうなのは、「新明解」を作るために、時間が足りず、同じ会社だからといってケンボー先生が集めた用例などをそのまま使ってしまったことである。しかも、用例採集を誰にでもできる仕事だといって、山田先生が語釈を重視したというのも、しゃくに障る。
だが、おそらくだが、「新明解」が主観的で文明批評的な内容になったのは、あえてケンボー先生とは異なるやり方、つまり膨大な用例採集に基づく、現代的な辞書と違う辞書をつくらなければ、山田先生は絶対にかなわないと思っていたからではないか?

後半になるにつれて、面白い話がでてくる。
例えば、そもそも二人が別れるきっかけとなった事件の裏には、出版社側の思惑もあった。印税や原稿料に対する要求をする2人を引き離したかったようだ。
あまりに辞書に対する情熱ばかりが語られてきて、最後にでてくる意外な話でもあるのだが、よく考えればあたりまえの話だ。一日のほとんど、人生のほとんどを辞書に捧げたのだから、対価を要求したくなるのも当然ともいえる。

二人がそれぞれ多くの部分を単独で作る辞書から、今は何人かの人たちで協力して作る辞書に変わっている。当然の流れだが、辞書自体の個性という面から言えば、薄くなっていく。そんなに個性は必要ではない、という考え方もあるが、ことばの説明が数式のようにただひとつに定まることはおそらくないのだから、ことばの意味を調べるだけでなく、作品として鑑賞する辞書があってもいいと思う。

無知の代償

強欲の代償・ボーイング危機を追う

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ボーイングは事故後も瑕疵(かし)をはっきりと認めず、報道や議会の追及で不利な事実が明らかになるたび「防衛線」を後退させた。設計のまずさを覆い隠せなくなると「連邦航空局による認証の手続き自体は法令に従っていた」と弁解した。

また事故を起こしますよと言っているようなものだ。

米国はその他全員には資本主義なのに、富める者にとっては社会主義

失敗した経営者になぜか多くの報酬が払われているということを揶揄している。つまり、業績に連動しない報酬を得られることを意味しているのだが、とすれば経営者は株主からのプレッシャーから守られているはずであるから、短期的な利益を追って、安全性を損なうような経営をおこなうのはおかしい。
では、原因は何にあるかといえば、私はトップダウン経営の悪い面がでたのではないかと思う。
例えば、彼らが受け取っている報酬からみても、経営者が自分のことを優秀・エリートだと思っているはずだ。そして、旧来あった会社の文化、システムそれらをすべて愚かなものであるとみなし、航空機製造会社としての独自性を無視してまったのではないだろうか。

トップダウン経営はうまくいくこともある。旧来のやり方を変えることで、より効率化することもある。しかし、経営者が現場を知らず、他の会社がやっているからとか、ビジネススクールで学んだ知識だから、という理由だけで進めてしまうと、その会社が持っていた大事な部分まで失わせてしまうことがある。
強欲の代償ではなく、ほんとうは単に無知の代償ではなかったか。

株主の利益こそ至上――。そううたわれてきた米国の株主資本主義だが、現実には株主の資産すら経営者が食いつぶす、経営者至上主義に堕していたのではないか。

強欲であれば、経営を傾かせ、株主価値すら落としていることに説明がつかない。
ただプライドだけが高く、政治力や駆け引きだけが優れて、能力や実績ではなく、出身大学などのコネクションで地位に就くことができる社会主義国家の官僚のような存在である。

規制の有効性

ボーイング危機を追う

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一番よく読んでいた連載。ボーイングの失敗が書かれている。
MDと合併したことで、コストを削減し、利益を追う会社になり、安全が優先されていかなくなったということや、トランプによって規制が撤廃されたことが、ボーイングの失敗に繋がったという。それは正しいとは思うが、規制を強化すれば安全になるのかといえば、私はそうは思わない。私は社会主義者ではないので。
ボーイングが目先の利益にとらわれ、言い換えると短期的な、経営者がおそらくモチベーションとなっている株価を上げることに重きを置きすぎている点こそが、問題だと思う。しかし、そういう会社はこれまでアメリカのいろいろな会社が経験したように、市場から退場させられる。つまり、経営者がより長期的な経営のビジョンを持てていないことが本当の問題ではないか。
規制は確かにストッパーにはなり得るかもしれないが、完全ではない。また、あまりやり過ぎると競争力を失わせるし、責任が曖昧にもなる。会社が規制さえクリアすればよいという考えになるとそれはそれで大きなリスクだ。実際に問題が起きた場合にも言い逃れしやすい。
一方、実際にボーイングは大きな失敗を被った。利益を政治家工作への資金に回し、規制を骨抜きにさせたが、それはかえって、安全に対する自らの責任をより多くしてしまったということにほかならない。にもかかわらず、安全よりもコストを取ってしまった。それに対して市場は厳しかった。それは、すごく正しい反応であって、経営者の責任は問われることになるだろうし、ボーイングは同じことを2回繰り返せば、終わるだろう。
ボーイングは唯一のアメリカの航空会社になったことで、ある種の特権的な位置となり、驕りがでたのかもしれない。いずれにせよ、「ボーイングが危機になった」という意識を経営者が正しく持っているのならば、2回目は正しく修正してくれることに期待したい。

鎌倉幕府

コロナのおかげで、外にあまり出ないようにしている。週末は、すみだ北斎美術館の「北斎で日本史」をみてきた。当時の歴史物の武士は歌舞伎の隈取りをしていたりと、様式的に書かれているのが印象的だった。武士は身近にいたのに、なぜ写実的に書かなかったのだろう。
葛飾北斎 (2代目) - Wikipediaという人がいたことも初めて知った。

鎌倉軍事政権の誕生(歴史群像 2021年)

今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ということで、歴史群像の「鎌倉軍事政権の誕生」という5回の連載を通読してみた。いくつかピックアップしてみたい。

院政の本質は、王家の資産形成システム他ならない

なぜ、院政をするかと言えば、荘園による蓄財ができるかららしい。中央集権的な公地公民制が骨抜きにされ、いわば荘園という私有財産が認められていく過程において、皇室も同じように蓄財せざるを得なくなっていたようだ。ただ、時代が経るにつれ荘園でない公領からも、中抜きできるように制度がされるにおよび(知行国主制)、国家財政はほぼなきに等しくなってしまう。

律令国家が創設した国軍は、平安時代の中頃までに解体してしまった

平和な時代が長引いたため、国軍は解散し、必要に応じて民間にアウトソーシングした。武士はそこから生まれ、荘園領主の手先として、在地領主としてのテリトリーを確保していた。まあ、いってみればヤクザが農民からみかじめ料を取って、その一部を国が抜くようなものである。彼らにとってみればテリトリーが最も重要になる。
保元の乱平治の乱などで、彼らを使嗾して貴族たちが争いを企てていったことで、その母屋を乗っ取られるのは当然だろう。

中世の武士は、従軍に必要なものはすべて自前でまかなうのが基本だ。この補給体制の不在こそが義仲軍の急進撃を可能にした

古代の共和制ローマと同じ。義仲軍は京都の町の富だけでなく、富を収奪するシステムそのものまでを機能不全に陥れることになり、後白河法皇に裏切られることになる。一方、このあと、頼朝はこの考え方を転換し、平氏を追い詰めていくことになった。

後白河が没すると、朝廷は頼朝をようやく征夷大将軍に任じた。しかし、この官職をも二年後には返上してしまう。代わりに頼朝が欲したのは、娘の大姫を後鳥羽に入内させることにあった

鎌倉幕府としては宮将軍を担ぐことが目的だったということである。それは、鎌倉殿が荘園から吸い上げた利益を配分することができる権利を得るための手段だった。鎌倉時代はかなり後になってから宮将軍を実現することができたが、本当はもっとはじめからそうしたかったのだという。知らなかったかなあ。
このあと、頼朝の子供たちがほぼ暗殺されてしまったり、貴族を将軍にしては解任したりとしていくのだが、それでもなぜ必要だったのかと言えば、鎌倉幕府そのものが、実は既存のシステムの上にのっていたに過ぎないからである。
承久の乱で皇室の権力を抑え込んだとしても、それを抑え込めたのも、既存の経済システムの上に成り立った主従関係が基盤となっていたためだった。承久の乱は武士が完全に皇室を圧倒したのではなく、後鳥羽の暴発として処理され、結局は平安時代に確立されたいびつな私有財産制が武士に解放されたにすぎなかった。

経済システムから鎌倉幕府を見ていくのは面白い。よく考えてみれば、政治とは基本的には富の配分であると考えれば、当然のことだろう。よく、武士は名誉や主君への忠誠と言った精神的な側面が強調されがちだが、物語としては面白いからかもしれないが、実際はもっと現実的に動いていたはずだ。また、律令制という、国家が独占する社会主義体制のようなものから、私有財産制へ解体されていく上で、戦争が絶えなくなるというのも、マルクスレーニンと言った近代の人たちの唯物史観とのつながりを考えると(同じではないと思うが)、面白い。

共通テスト

今週は出張で大阪や岡山へ。ほとんど仕事だったので、感想は特にないかなあ。寒かった。
能登の白菊の「にごり酒」純米がきたけど、コロナのため飲み会はなし。

「鎌倉殿の13人」の1話をみた。1話からちょっと登場人物が多すぎませんかね。
まあ、ある程度はわかるけど、なんか駆け足な感じがするんだよなあ。

国語 第1問

宮沢賢治よだかの星における「食べる」という精神的な意味と、人間が「食べる」という過程は実は大きな循環のひとつにすぎないという科学的な意味を示す、2つの文を比較した設問。そこまで難しい問題はなく、全問答えられた。共通テストらしい問題はなかったような。

国語 第2問

リビングからみえる隣の家の看板をどけてほしいと願う男の話。問2は間違えたが、「身体の底から」というのを「存在を根底から覆された」ととらえることができるかどうかということだろう。

評論文に比べ、小説は難しい。比喩的な表現に対する解釈(要は言い換え)とできるかということと、書いていないことを区別しなければいけない。小説は主人公の心情などを選ばせるので、とくにこれが紙一重なような気がする。

一方で、試験なので小説はなんとなく読めてしまうことを、明確なことばで表さなくてはならない。そして、一般的な解釈とはなにかということをもっと考えて読まなければならない。つまり、登場人物を自分にあてはめたり、自分だったらどう思うだろうということではなく、批評家のような視点で、客観的に読まなくては試験にならない。

今回の第2問はとてもおもしろかった。受験生はこの中に出てくる「ジジイ」と主人公を罵る若い登場人物のほうが近く、設問として問われる主人公は、彼らからすれば遥かに遠い初老の男性である。受験生は年老いた男性が若い人に罵られるという気持ちを理解することは難しいかもれしれないが、こちらのほうが客観的になれるから、答えをかんたんに導き出せたかもしれない。

わたしはこの主人公の気持ちがわかるので、妙に感情移入してしまい、設問の選択肢の内容がしっくりこなかった。それは、文章に書かれていない私の気持ちがどこかに混ざるからだろう。

中学生に無視されて「ジジイ」と言われ、「身体の底から殴られたような嫌な痛み」を感じたとあるとき、私はそれが「存在を根底から覆される」とは思えなかった。しかし、それは私の気持ちであって、主観的な偏りなのである。私であれば「中学生に対してその暴言に対し、適切なことが何も言えなかった自分を情けなく思う気持ち」「自分で自分を傷つけてしまったような痛み」「その時は感じなかったが、あとからじわじわ効いてくる痛み」のような感じがしたが、どこにも書いていないので、そんなものは回答にはならない。

小説を試験として、あるいは大学で文学の研究対象として扱うのであれば、そういう読み方は必要なのだろう。しかし、小説に限らず、多くの芸術作品において、自分を主人公と同化させてしまうのは、普通である。そこに違和感を感じてしまうと、その作品に対する興味や面白さを感じなくなる原因にもなりかねない。もし、この問題文の小説の中に「私は存在を根底から覆されるような思いであった」と書いてあれば、私は違和感を感じて、「ああ、この人は変わった人なんだな」とさえ思ってしまい、受け取り方も変わったかもしれない。あるいは、もっとひどくて、そういう文章をなかったことに、記憶から外してしまうことすらしてしまうかもしれない。

普通は、俳句や和歌などを試験にできない。今回の第2問はあえてそれを行っているが、おもしろいのは俳句や和歌に対する解釈をすでに問題文に示している点である。逆に言えば、それがなければ、試験にならないのだ。つまり、俳句や和歌はそこに自分の主観・経験を混ぜて、様々な解釈を広げることこそに意味があるからである。そのような自由は、試験にあってはならない。