Old days

6/16に吉祥寺に献血に行っていたので、その結果が帰ってきた。異常値はなかったのだが、確実に肝臓はダメージを受けているようで、値としては悪化していた。お酒の量を少し減らさないといけないかも。逆にコレステロール値などは改善している。なぜかはわからないが。
このとき気づいたのが、大学院の時代に献血に行っていたということ。まったく記憶になかった。大学の方は行っていたことを覚えていたのだが、こっちはまったく記憶にない。
そこで、当時の日記を確認してみた。この頃は毎日日記を書いていたので、一日の行動を把握することができる。そうすると、なんと午前中はスキーに行き、午後はなぜか金沢市内でスターバックスにいたら、献血してくださいといわれたので、献血に行ったとある。全く記憶にない。
もう6年も前のことになるから、仕方のないことかもしれない。でも、なにかいろんなきっかけがあれば何かを思い出すかと期待したのだが、何も思い出せない。0である。
過去のことはどんどん忘れていくものだと気づかされる。昔のことを振り返っても仕方がないのかもしれない。日常的なことはどんどん消えてなくなっていく。ほとんどの日がそんな日なのに。
過去の日記は自分のもののようでいて、自分のものではないような感じを受ける。そのとき感じていたことも今となってはよく思い出せない。日記はある意味断片的で整合性もないから、もうそのときの思いを復元できない。
当時の私はとても楽しそうだ。でもそれは今の私からみて、ということだ。本当はそれはフェアではない。いつだって今を生きることと、過去を振り返ることだと、過去を振り返ることのほうが、常によく見えるから。
この日の日記も、後から見ると、きっと楽しそうに見えるのかもしれない。でも、それはもうそのときの本当の気持ちではなく、楽しそうに見える過去の日記なのだ。