抽象は角が立ちにくい

(天声人語)記者として作家として:朝日新聞デジタル

「近ごろ『国』を主語や目的語にした記事が多い。国とは官邸か省庁か、省庁なら何省か。明確にすべきだ」

2022/01/09 10:20

「貧困問題を国は何とかしてほしい」「このような国になりはてた」「国を嫌いな人間はでていけ」など、国に対する文章というのは、とくに価値判断を含む場合、なんとなくいいとか、なんかよくわからないけど悪い、というのとあまり差がないことが多い。抽象度が高すぎると結局何も言っていない。「社会」とか「共同体」とか「行政」「政治」「教育」・・・。しかし、実は特定の何かを指していることも多い。

最近よくきく「主語が大きい問題」にも近い。抽象度が高い論述は一般性を持っているように見えるので、なにかすごいことを言っているように聞こえてしまう。多くは間違いなのだが。
特定の何かを指し示すと、それに該当する機関や人たちは反論してくるだろう。しかし、それを抽象的な言葉でぼかしてしまうと、反論してこない。対象をおおきくすることで、角が立ちにくい言い方をしたほうが良いという、日本人的な価値観なのかもしれないが。(という言い方も怪しいといえば怪しいか)