辞書にとりつかれた人々

辞書になった男

honto.jp


袂を分かつことになった二人の辞書編纂者の物語である。概ね知っていた話でもあり、「ゆる言語学ラジオ」でも触れられていたが、本を読むとかなり違う印象になった。

ケンボー先生が怒るのも無理はない内容が多い。「事故」の件はともかくとして、一番怒りそうなのは、「新明解」を作るために、時間が足りず、同じ会社だからといってケンボー先生が集めた用例などをそのまま使ってしまったことである。しかも、用例採集を誰にでもできる仕事だといって、山田先生が語釈を重視したというのも、しゃくに障る。
だが、おそらくだが、「新明解」が主観的で文明批評的な内容になったのは、あえてケンボー先生とは異なるやり方、つまり膨大な用例採集に基づく、現代的な辞書と違う辞書をつくらなければ、山田先生は絶対にかなわないと思っていたからではないか?

後半になるにつれて、面白い話がでてくる。
例えば、そもそも二人が別れるきっかけとなった事件の裏には、出版社側の思惑もあった。印税や原稿料に対する要求をする2人を引き離したかったようだ。
あまりに辞書に対する情熱ばかりが語られてきて、最後にでてくる意外な話でもあるのだが、よく考えればあたりまえの話だ。一日のほとんど、人生のほとんどを辞書に捧げたのだから、対価を要求したくなるのも当然ともいえる。

二人がそれぞれ多くの部分を単独で作る辞書から、今は何人かの人たちで協力して作る辞書に変わっている。当然の流れだが、辞書自体の個性という面から言えば、薄くなっていく。そんなに個性は必要ではない、という考え方もあるが、ことばの説明が数式のようにただひとつに定まることはおそらくないのだから、ことばの意味を調べるだけでなく、作品として鑑賞する辞書があってもいいと思う。