先日の暗黒日記の応徴士が気になったので検索したが、ほとんど出てこない。しかし、その中にも面白い内容が出てきた。
その頃はどこの家庭でも、戦力の一翼を担い得るものならばと、鍋釜、鉄びん、火鉢などの鉄製品を、時には現在使用しているものであっても惜しむことなく供出した。
ところがだ!。それら家庭の必需品は会社の空地に山積されていた。しかもそこで適当な品と思えば従業員たちが持ち帰ったりしていた
そんなことだろうと思っていた。
重要なのは、供出された物質そのものではなく、人々を苦しめ、追い詰めることが重要なのだ。つまり、国のことであれば何でも言うことを聞く精神状態を、国民の中に作り出すことが目的なのである。為政者はそういう「利他的な」つまり、自己の欲求から離れ、国のために尽くす行為が「美しい」と思っている。
現場は日増しに仕事がなくなっていった。共栄圏として期待した南方からの物資は全部途中で撃沈されてしまうからだ。
暗黒日記に書かれていたとおりだ。人だけ増やしても、精神を向上させても、どうにもならない。
物がないので人の資源も有効に活用できなくなる。
8月15日、無条件降伏の詔勅の結果、かえすがえすもいまわしい戦争の幕は閉じたのだが、我が応徴士としても仕事は放免とはならなかった。あちらへ移りこちらへ変り、最後はベンゾールのドラム空缶処理を一人で担当していたこともあり、その整理に手間取り、解放されて帰宅し得たのは10月の末だった。
戦争が終わってからの方が忙しいというのも、皮肉なものだ。
民間で仕事をしていた人たちは、軍人よりもより戦争の矛盾、非効率さを実感したことだと思う。
また、朝鮮人も応徴士として強制的に徴用されたようだ。彼らは外国人ではなく、もはや日本人扱いなのである。