memories of my father’s sisters

yuuntim2006-04-08

伯母さんの法事に行く.伯母さんの近所に住んでいたこともあり,ずいぶんお世話になった.優しい伯母さんで,伯母さんの家に行くことが楽しみだった.ただ,亡くなられたときは,脳溢血でほとんど意識がなく,優しかった伯母さんの面影はもうなかった.
1932年ごろの写真を見せてもらう.ハイカラな服を着られていた.たくさんの兄弟の一番上のお姉さんにもかかわらず,非常におっとりしたお嬢様のような人だったという.とてもきれいで,かつ級長をやるくらいの才媛だったらしい.だから,まわりの男の人がほうっておかず,何人もの男の人から求婚された.学生時代の頃は好きな男の子が家の周りによくいたという.いまもこのあたりは変わらないのだろうか?すくなくとも私はそんなことをしたことはないけれど.
次女にあたる伯母さんもすでに亡くなっている.とてもしっかりした,怖いお姉さんだったらしいが,私にはとても優しかった.
法事が終わった後に宇治へ行って,三女と四女に当たる伯母さんとご飯を食べながら,そんないろいろ昔の話を聞いた.昔はお米とお茶を売るお店をされていたらしく,その手伝いに大変だったらしい.私の父は一番下で,よくお父さん(つまり私のおじいさん)に怒られていた.当時は比較的裕福な家だったらしく,正月にはみんなが着物を着て,お膳に載せられた料理を食べ,百人一首をしていたらしい.そのため,兄弟の人たちは皆,百人一首をよく覚えた.父はまだ幼く,ほとんど覚えていなかったらしいが.
宇治は桜が満開で,塔の島には花見客が宴会のためのブルーシートをひろげて,場所取りをしていた.
青空が広がって晴れているはずなのに,黄砂の影響で,まるで薄曇りのようになり,風が強く,少し肌寒かった.