法学入門18

法律については、診断士試験の頃から苦手意識があった。もちろん覚えきれないという問題もあったが、法自体の体系、用語、論理がまるで飲み込めず苦労したことを覚えている。シラバスを見るとこの授業は2回目がイスラム法に関する内容であることを知り、そこから少し興味を持って受講してみた。

この授業は、法の地域における多様性からはじまり、歴史的な法概念の成立・継受(他国の法制度を受け入れること)の経緯、法と道徳や正義との関係から、最後は国家間の法である国際法を学んでいく。個別具体的な法ではなく、法律のいわば土台としての思想を習得することを目的としている。

1回目の授業で、「法の不知はこれを恕せず」(法を知らなくても、許されない)という原則がある一方で、すべての法を熟知している人は、専門家も含めていないということを学ぶ。しかし、これはまるでおかしい。これでは人はまともに生活できないようにすら思えてくる。
なぜ、生活できているのだろうか?回答は特に記載されていないが、理由をいくつか考えてみた

  • 法は共同体の中にある道徳とは密接関係にあり、我々が持つ一般的な道徳概念に反した形の法というのは、あまり存在しない。仮に存在したとしても法は変化を求められる
  • 契約などの重要な約束(契約は約束の部分集合)、公的機関が出す規制、税制など、については、専門家によるサポートにより、あらかじめ紛争などがおこらないようにすることができる(予測可能性)
  • 自動車の運転などの法規については、免許を取得する上で、試験などを通じて学ぶ機会がある

とはいえ、とくに単に生活をしているだけではあまり気にすることはないかもしれないが(近所からの迷惑行為などはあるかもしれないが)、仕事として会社員ではなく、起業などをする上では、とくに国家機関による規制および税制に関しての知識は必要になるだろう。
刑事としては、通常は、他人の権利を侵害しないということ、しいていえば社会を悪くするような反道徳的行為に関しなければ、概ね問題はないと思われる。

中国の歴史的な法概念を学ぶと、現代の日本にも影響を与えているように思えたのは、個人的には最も意外な発見であった。あるべき裁判の姿という概念は、時代劇や古典の物語の影響によって作られているのかもしれない。
同時に、あまり関係はないかもしれないが、道徳の観念も、子供の頃に読んだ童話が無意識のうちに影響しているようにも思った。

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

乃木坂の国立新美術館にて鑑賞。お目当てはジョルジュ・ド・ラ・トゥールの女占い師だった。

https://artmuseum.jpn.org/onna.jpg

(西洋絵画美術館より)

中世の宗教画からはじまり、ルネサンス、そして印象派、ポスト印象派へと西洋美術史を概観できる。私は詳しくはないが、せっかく放送大学の学生になったので、美術館の割引を使ってみたかった。あと、私派の好きな「ぶら美」でも推されていた展覧会ということもあった。

この展覧会で一番見入ったのは、マリー・ドニーズ・ヴィレールの「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ」である。

ja.wikipedia.org


全くの無名画家が描いた肖像画である。女性画家ということもあるのか、不幸なことにジャック=ルイ・ダヴィッドという有名画家の作品とされてきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/女性アーティスト#芸術史における女性の不当な扱い

この肖像画は、なぜか逆光で描かれている。これはとても奇妙なことだ。「ぶら美」でもふれられていたが、女性画家は女性の肖像画を注文されることが多かった。なぜかといえば、女性は「女性がそうであってほしい」という美しさを盛って書くことができるからだという。しかし、この絵はその法則に合っていない。

この女性は逆光の中で、すこし微笑んでいるようにもみえる。しかし、逆光なのだから、幸せに包まれているようには見えない。窓の外には男女の姿があり、なぜかその窓は割れている。彼女は窓からその男女をみて絵を描いていたようだ。その途中で、身を屈めた横向きの姿勢から、こちらを見ている。

この絵を発注したのはここに描かれている女性だとしたなら、なぜこのような場面を選んだのだろう。そして、もっと美しく幸せそうに描かせなかったのだろう。

マリー・ドニーズ・ヴィレールはwikipedia日本語版には記事がないが、英語版には記事がある。この作品は彼女が27際の時の作品で、そのときにはすでに結婚をしていたようだ。通常、女性画家は結婚をするとプロの画家としては引退することが普通だったようだが、彼女は夫のサポートもあり、プロの画家を続けることができたとある。

ルーブル美術館にも所蔵されている彼女の作品がある。黒いドレスとベールをかぶった女性が、靴紐を直そうとしている所を描いている。

artsandculture.google.com

タイトルが A study of a woman from natureというらしいが、何のことか全く分からない。肖像画としてはやはり奇妙だ。他にもいくつか作品があるようなので、日本に来たらぜひ見てみたい。

なお、隣に展示されていたのは、同じ女性画家のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる「ラ・シャトル伯爵夫人」であった。あまりに普通の美しい女性の肖像画で、それよりも二回りは大きいマリー・ドニーズの作品の異様さが際立っていた。

ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律

タイトルからすると、なにかビジネス書の要約をまとめた本のようにも思えるが、実際はそうではなく、ビジネス書が述べる結論や法則といったいわば「黄金律」がいかに矛盾し、珍妙なものかを暴いている本である。

たとえば、本書の教え23の「ひとつのことをやり続ける」というものと、24の「ひとつのことをやり続けない」というのは相互に矛盾している。本書では、中でも極端な例の内容が示されており、私は一番好きな箇所だ。

おぞらく、この教えはどちらも正しい。そして、どちらかに言い切ることは間違いだろう。だが、おそらくそれではビジネス書としては成立しない。どちらかに答えを求めている人がビジネス書を求めているのだから。

このビジネス書の役割は、占いに似ている。将来に不安な人に対して、背中を強く押してくれる。もし、不吉な結果なら、他の占いを試せば良い。ビジネス書も同じだろう。もし、自分に合わない方法を示すビジネス書であれば、それはBOOK OFFに売ればよく、別の本を買えば良いのだから。

ビジネス書に求められていることは、一貫性のある客観的な事実ではない。自分がそうなりたいと思える人(ロールモデル)の考え方やふるまいを知りたのだ。そして、自分が明日から実行できることなら同じことをしたいし、自分が迷っていることがあれば、強引に結論を導いて欲しいのだ。

中には疑似科学や心霊的(スピリチュアル)なビジネス書のことも述べられているが、これを書いたビジネス書の著者も本気で事実だとは思っていない気がする。そうではなくて、「そういう世界だといいな」「そういうようにみんなが思ってくれたらいいな」という願望を書いているように思える。一時はやった「江戸しぐさ」みたいなものの一種ではないだろうか?それに共感する人が一定量いればそれで成立するのだろう。

私は著者のYoutubeを見ていたので、本書を読むことはいわば復習のようなものでもあった。スパチャを1度打って、著者が面白そうに反応してくれたことはいい思い出になった。

ところで、本気で「黄金律」を求めていた人はどんな気持でこの本を受け取るのだろうか?それは少し興味がある。

大阪城(3月)

コロナウイルスは収束するようでしない。どこまで気を使うべきなのかがわかりにくい。

大阪城

法事のついでに、大阪城へ行く。小さいときにいっているはずなのだが、ほぼ覚えていない。天守閣の博物館はとても充実している印象があり、豊臣時代と徳川時代大阪城の模型は、とてもよくできていた。

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大阪城

大阪歴史博物館

大阪城の外堀に隣接する歴史博物館。資料展示よりも、お金のかかる再現展示が多く、あまり興味のない人でも楽しく見られる工夫がされているように思った。

難波宮の官人たちの再現をみると、いかに漢風(唐風というべきか)の影響が大きいことがわかる。平安時代の装束と比較して欲しい。

窓から難波京の全景を覗くことができる。

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難波宮の全景

中央に白い大極殿の基壇が見えるが、この手前にある8角形の建物が見えるが、これが八角殿とよばれる建物を模したものである。これは、前期難波京だけにみられる形式で、それ以外の宮城には見られない形式らしい。法隆寺の夢殿のような建物であったのではないかといわれる。
手前が内裏なのだが、阪神高速が横切っている。

下の階に降りるとだんだん現代に近づく。
初めて知ったことは以下の通り

  • 堺は摂津、河内、和泉の三国の境にあった
  • 上町台地はほぼ上町筋にそっている
  • 昭和初期は大大阪といわれ、東京よりも人口が多かった
  • 喜連は伎人郷ともいわれ、渡来系の人が中心となった、環濠集落である。摂津と河内の境界でもある。(特別展)

ポンペイ

今週も、あいかわらずコロナが収まらず。家でゆっくり本を読むことに。また感想を書きたい。

その前に、東博の特別展へ。写真が撮れるので、私もいくつか撮ってきた。

pompeii2022.jp

ポンペイは1世紀に滅んだ。ローマとしては帝政が始まったばかりの時期で、まだ右肩上がりの時代だ。
そのせいか、とてもギリシア文化の影響が大きく、先日書いたギリシア彫刻の特徴がそのまま現れている。



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ギリシア彫刻のコピーとのこと。表情が乏しい一方で、理想化された美を描いている。

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商業ではとくに女性が活躍していたようだ。ここに描かれているのは、女性詩人とのこと。

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たこ焼き機みたい。

中には「ファウヌスの家」の一部が再現され、あの「アレキサンダー大王」のモザイク絵がある。あれはポンペイから発見されたものだったとは。

まだまだ発掘は続いているらしい。これからもまた、新発見から展示会があるかもしれない。

ヨーロッパ思想入門

コロナの感染者はピークアウトしたものの、今度はロシアがウクライナを侵攻した。世界の秩序も変わらざるをえなくなるだろう。

ヨーロッパ思想入門

honto.jp

某Youtuberがおすすめしていた本。岩波ジュニア新書なので、中高生向けだとは思うのだが、内容はかなり高度だと思う。ギリシャ神話および哲学と、ユダヤおよびキリスト教ヘブライの信仰)を中心に、そこからヨーロッパ思想の展開を描く。とくにキリスト教の解説は、キリスト教の信者でない人には、心に残るものがたくさんあると思う。

世界史の勉強不足を痛感する。ほとんど忘れている。詳説世界史研究を少し読み始めることにした。

honto.jp

あと、放送大学の納富先生の授業を受けることにした。

ギリシャ神話

ギリシャの彫刻は美しいが、すべて同じ表情をしている。ここには不完全なものは存在の資格において劣っているという感覚がある。

個体には興味がなく、完全で対称的なものが美とされている。プラトンイデアである。

ヨーロッパの思想において、個体がほんとうに問題となるのは、キリスト教の成立以後である。人間の個的実存のかけがえなさの自覚は、牧者に心配をかけない従順な九十九匹の羊をさしおいて、一匹のはぐれた者の羊を探しにゆくあの羊飼いの物語にはじまるのである(「ルカによる福音書」)

ギリシャ悲劇を研究したニーチェが、キリスト教の徹底的な批判者となるのは、必然だったのだ。

ギリシャ人の神とは私たちがそうでありたいと願ってやまない、人間の理想化なのである。(中略)人間を神々のイメージにまで高めて賛美するとは、何という大胆不敵な精神だろうか。彼らがなしたことは、人間の自信の、自己意識の、そして無限の可能性をはらむ能力の、それまでに前例のない賛美であったのである。

つまり、ギリシャの歴史は栄光の歴史であり、そこで暮らす民族は誇りが高く、自信に満ちていたことの現れである。逆にヘブライの信仰は、虐げられた民族の、絶望の中に生まれた。

ソクラテス

ソクラテス)もまた若い頃は自然学に熱中したそうである。それは、自然学者が事物の生成消滅の真の原因を教えてくれる教えてくれると信じたからである。
だが、ソクラテスが彼らの説明の中に見出したものは、事物が事実かかくかくの状態であることの記述であって、なぜそうであるかということの理由ではなかった。

自然学者を、今の時代の科学者と言い換えても同じことがいえる。アリステレスの因やプラトンイデアという考え方も、この事物が「なぜ」そうであるかという問いと繋がっていたのだ。だから、これらの考えが私たちには奇妙にしか思えない。「なぜ世界が原子で構成されているのか」という問いを立てる人は、現代人にはほとんどいない。

ソクラテスのこの考え方は、いわば理論理性に対する実践理性の優位を主張する革命的な思考の転換だった。それは、ひたすら自己の外なる自然界のみを眺めていた理性が、180度向きを変えて自己自身を眺めはじめた一瞬であり、これによって「哲学は天空から人間界へ呼び降ろされ(キケロ「トゥスタルム論集」)、人生と善悪が本来的に問題とされることが可能になったのである。

理論理性・実践理性とは後の哲学者であるカントの用語である。理論理性とは、いわば理論的な認識能力に対し、実践理性とは、大辞林によると「人間の行為・意思の決定にかかわる理性」のことのようだ。例えば「善悪」の判断というのはまさに、実践理性である。ソクラテスはそれを問題にしたのだった。

ソクラテス自身が自明と思い、対話の相手もその自明さを承認せざるをえないような、何らかの基本命題と、その対話相手の見解が矛盾しないかどうかを検討するのである。その結果、両方が矛盾すれば、対話相手は反駁されたことになる。

ソクラテスの哲学の探求の方法である「反駁的対話」についての説明である。
これは、対話の相手が何かを主張した場合、ソクラテスと対話の相手が共有できる自明な基本命題(命題とは、判断を言葉に表し、真偽を論じることができる問題のこと「三国」)と矛盾しないかどうかを検討するということである。一見当たり前だが、「権威が言うことは検討なく正しい」ということは今でも当然あるだろう。また、徳といった人の生き方とのような、価値判断の話になってくると、なおさらなのかもしれない。

ソクラテスと対立したソフィスト達は、相対主義を唱えていたらしい。「みんなちがってみんないい」なので、今の価値観が多様化した社会にふさわしい「徳」なのだろうが、すくなくともソクラテスはそうは思わなかった。たしかに、みんなちがってみんないいというのは、思考を放棄しているとも言える。例えば、人を殺すことは正しくないし、憎まれる行為である。倫理として最低限共有すべきものがあるとするならそれは一体何なのか。「祖国(ある種の正義)のために人を殺すこと」は善なのか。

こうして、この反論と再反論のプロセスは、根拠の方向へ深化しつつもやむことのなく進行し、対話はたいていは明確な結論を得ないまま終結する。

意外だった。ソクラテスの伝記を弟子のプラトンが書いているのだから、ソクラテスの肩を持って明確な結論があるようにいいはずなのに。

それでは、「正しく生きることが、もっとも大切なことである」という大原則から、いかなる帰結が出てくるか、それは「いかなるしかたでも不正を犯してはならない」ということである、「たとえ不正を加えられても、不正の仕返しをしてはならない」ということなのである。ソクラテスとクリトンとのこの対話のうちに、ソクラテスの正義論の骨格とその驚くべき革新性が示されている。

何が革新的なのかわからなかったが、確かに次の文章を読んで私も驚いた。

ギリシア人の倫理では、「敵を徹底的に害すること」は許されていたのではなく、賛美されていたのである。(中略)正当な報復としての復習を是認するこのような伝統的正義感に対して、それを超克する思想を語ったのは、ヨーロッパでは、イエスを別にすれば、ソクラテスであり、そこに彼の思想の決定的な飛躍と時代の断絶があったのである。

ソクラテスが死を受容したことがそんな決定的な出来事だとはまったく思わなかった。そして、おそらく当時のギリシア人の人たちの大多数と同じように、ソクラテスは偉人だとかいわれているにもかかわらず、単に愚鈍なだけだったのではないか、と私も心のどこかで思っていたことに気づかされた。「悪法もまた法なり」といって、金科玉条に法律を守るだけの愚かな人だと。しかし、本質はそんなことではなかった。それはソクラテスとってはギリシアの思想に対する大きな挑戦だった。そして、イエスと同じように、それに衝撃を受けた弟子たちによってその思想は受け継がれてゆく。

プラトンアリストテレスの国家

プラトンは人間一個人と国家とのあいだには構造上の類似性があると考え、正義についておおよそ次のような説を展開した。
人間の魂は理性、気概、欲望の三部分からなっている。理性の働きは知恵を持って魂全体のために配慮し、他の部分に命令を発することである。気概の働きはその補助者となって欲望の放縦と戦うことである。欲望の働きは、理性の与える指令の下に食欲や性欲を満たし、もって生存の維持をになうことである。

つまりこの三部分が調和的に働くことが、正義であるとしている。ということは、正義に基づく国家を作るとするのであれば、以下のように構成されることになる。

ひとつの種類は快楽を求める性質の人で、(中略)彼らは結婚も私有財産も許されるが、いっさいの政治活動は禁止される。彼らは為政者の命令にひたすら服従して勤労する労働者階級を形成するのである。
この階級の上に、名誉を求める性質の人がいて、国家を加害的から守る防衛者階級を形成する。(中略)この階級の人は結婚と私有財産が禁止されるが、それも彼らには執着心からの脱却が要求されるからである。
最後に支配者となるべき人々がいる。この階級に属する人々は、知恵、気力、体力のいずれにおいてもはなはだしく優れたごく少数のものでなければならない。(中略)彼らはもちろん、家庭も私有財産ももたず、いっさいの個人的利害を捨てた禁欲無私の人々で、順番に国家統治の人に就くのである。

プラトンの哲人王の思想である。大学の頃の哲学の授業でずいぶんこの考え方を批判していた先生を思い出した。たしかに、現代人からするとあまり受け入れがたい思想である。そもそも権力を持つ人間が欲望を捨てるということが本当に困難なことなのだろう。
そういえばヒトラーは愛人がいたのに、なかなか結婚をしなかったのはこの思想に多少なりとも影響を受けていたのだろうか?恐ろしいのは彼は自己のためではなくドイツ民族のために、つまり無私であったということである。つまり、欲望ではなく正義のために多くの悲劇を生んだ。

アリストテレスの打ち出した独創的な視点は、人々が「よい」というとき、どういうことを言っているかを考えた点である。(中略)よい目とは、澄んだり歪めたりせずに明確にものを見る目である。
このように、すべての存在者は本来その存在者に課せられた機能を十全に果たすとき、良いのである。(中略)現代では、「自己実現が幸福である」という思想は常識となっているが、この考えの源流は、じつに、アリストテレスのこの「自己本来の働きの発揮が善である」という思想のうちにあるのである。

アリステレスの善の考えである。とすると、人間の本来の働きとはなんだろうか。

人間は理性的な部分と非理性的な部分とからなるが、非理性的な部分は基礎的な部分ではあるが、植物や動物の機能とも共通する部分であるから、優れて人間的な部分とは言えず、理性的な部分こそが人間を人間であらしめている部分である。

プラントは人の種類として欲望を肯定する人とそうでない人に分けたが、アリストテレスは人間は普遍的に理性的であることが「よい」ことであって、それが幸福であるとのべている。よって、国家観もプラトンとは大きく異なることになる。

政治権力は人間である限りのあらゆる人間に等しく帰属していなければならない。(中略)あるべき政治体制は共同体のすべての構成員が平等に権力に預かる体制であり、それは今日の言葉で言えばデモクラシーであり、アリストテレスの言葉で言えば「中間の国制」である。
(中略)中庸の体制の育成のためには、できるだけ多くの人々のうちに、両極端の劇場に翻弄されない、温和な理性的人格を育てることが最重要課題であるからである。

当時のギリシアの政治体制を追認したとも言えるのかもしれないが、この後の歴史を見れば、むしろデモクラシーであった時代の方が短く、この思想を各時代の人たちがどのように受け取ったのか知りたくなった。

ヘブライの神

天地創造以前の神への言及がないことの意味はなんであろうか。それは、イスラエル人の神が、常に世界との相関関係のうちで語られるということである。(中略)イスラエルの神は他者を呼び求める神なのである。

この世界を神が作り出したとするなら、その神はどのように存在したのか。と考えるのは普通であって、ギリシアの人たちは神は永遠の存在である(英雄は死ぬ存在)と考えていた。だから、世界を創造する前にも生きていたのだが、イスラエルの神はそれがない。「創世記」はこの世界を生み出すところから始まり、常に人間との関係において神が論じられている。

神はすべての自然物を作り上げた後、最後に人間を創り、(中略)、神の呼びかけに応答するものである。すなわち、人間は自然の一部分であると同時に、自然を超えてゆくものであるという二重の性格を持つのである。

人間は神の呼びかけに応答するものであり、自然を超えているものであるのだが、一方で、神とは大きく断絶している。

神が世界を「無」から創造したと言うことの意味である。(中略)ギリシアバビロニアの神話における原初の混沌のようなものにせよ、(中略)万物が生成する不滅の根源的素材は何もないということである。(中略)神は世界から絶対的に断絶しており、世界を超越しており、世界内のいかなる存在者にも帰属しない、と言うことをも含意している。すなわち、神に対する世界とは、神に対する無なのである。それゆえ、私たちが存在とよぶものが、時間・空間・形象に制約された世界内の存在者としてしか了解されえないとすれば、神は「存在」ではなく、「存在のかなた」でなければならない、ということにほかならない

日本のギリシアの神は、人間的な神であるが、イスラエルの神はまったく違う。確かに神の似姿として人間を創造したとあるが、人間が神がどのような存在であるかはまったく認知ができない。ただ、ほんのわずかに語りかけてくる存在でしかない。
よく考えれば、イスラエルの神は意図もなにもわからない。アダムとイブが知恵の実を食べたことで、楽園を追放したとあるが、なぜ楽園を追放したのか、なぜ全能である神が蛇を創り、その蛇がなぜイブを誘惑したのか、まったくわからない。
ただ、なぜか神は人を愛し、そして愛の裏返しとして人を罰する。

愛しうるものは自由でなければならない。選びうるもの、否をいいうるもの、拒否しうるもの、憎みうるものでなければ、愛することはできない。なぜなら、決して否を言えないものとは、因果法則に従って必然的に運動する無機的な自然物、あるいは機械のごときものであり、いわばロボットであり、せいぜいの所奴隷であるに過ぎないからである。

イスラエルの神は人を奴隷として創ったのではない。自由を与え、その自由な選択を愛した。なるほど・・・。

ここに、人間の創造の恐るべき秘密があるに違いない。人間の愛を切に求めた神は愛を求めたが故に、ついに、人間を自分と対等なものにまでしてしまうという、パウロの言葉を使えば、「神の愚かさ」にまでいたってしまったのだ。

パウロはこんなことまで言及していたとは。もちろん、神と人間と対等であるというのは、「自由」でありかつ、「愛する」という存在であるという点において、対等であるということだ。

新約聖書

あるとき、一人の律法学者が「どうしたら永遠の命を受けられますか」とイエスに尋ねた。「律法に何と書いてあるか」というイエスの反問に、彼は「神を愛し、隣人を愛せ、と書いてあります」と答えた。「そのとおりだ。実行せよ。そうすれば、永遠の命をうる」とのイエスの答えに、彼はさらに「隣人とは誰ですか」と問いを重ねた。それに対するイエスの答えが有名な「善きサマリア人」のたとえ話である。このたとえ話はイエスの教えの本質に触れる話である。

これ以降の文章は、この本で私が最も心に残った部分でもある。それは私がきっとキリスト教徒ではなく、むしろサマリア人のごとき、異教徒であるからだろう。
善きサマリア人のたとえは簡単に調べられるので省略し、園はなしに対する著者の考えを引用する。

愛とは自分の好きな人に親切にすることではない。(中略)偶然に出会った苦しんでいる人に、つまり、関わり合いになったら厄介を背負い込むかもしれないと思われるような人に、近づいていって一緒に苦しみを背負うこと、それが愛であると告げている。

まあ、私もこういうことだと思った。が、著者はさらに踏み込んでいく。

しかし、この話のさらに深いメッセージは次の点である。なぜ司祭とレヴィ人は見て見ぬ振りをして通り過ぎたのか。彼らは薄情な人間であり、他者の厄介ごとにかかわりたくないエゴイストであっただろう。それはまちがいない。しかし、それだけではない。彼らは汚れを恐れたのだ。聖なる人が聖なる仕事に携わるときは、身体障害者、病人、死人には触れてはならない、という掟がある。

律法ではこのような汚れた人たちは、聖なるものに近づくことを禁じられていた。ヨブ記の記述によるものである。ただし、ユダヤ教キリスト教の解釈では異なる。あくまでも著者の考えであり、いわば信者以外の解釈とも言えるだろう。だが、だからこそ自由に読める。

司祭やレヴィ人はこの半死人に触れて、自分も汚れることを恐れたのである。愛のない人間の例として、わざわざ司祭とレヴィ人を引き出すことによりイエスは律法を守る人々の非人間性を暗示しているのである。
他方、サマリア人とは、汚れた人間として、ユダヤ人から排斥されていた人々である。(中略)だから、ユダヤ人はサマリア人を軽蔑し、触れるどころか、口をきくことさえ避けたのである。半死人となったユダヤ人は、司祭とレヴィ人から見捨てられることにより、自分が汚れた人間としてユダヤ人共同体から疎外されたことを自覚した。そうなってはじめて、かれは聖なる律法共同体が非人間的な嘘の集団であることを悟ったのである。そして、サマリア人の介助を受け入れることができたのである。

律法を守ることは正しいことのはずである。でなければ、神の怒りが待っている。にもかかわらず、それは絶対ではないというイエスの教えは、ユダヤ人にはなかなか理解されないだろう。これでは律法を正しく守っている人間が天国に行けないことになってしまうではないか。

だから、この話は、疎外された人間が疎外された人間に、見捨てられた人間が見捨てられた人間に、近づくという話である。そして、愛はそのような人間同士の中で生まれる。なぜなら他者の苦しみを感受し、それをともにになうためには、自分自身が苦しむものでなければならないからである。

これが、善きサマリア人のたとえ、の本質であり、イエスの愛の考えの表すのだという。

この世の秩序は、優れたものが多くの報いを受け、劣ったものがわずかの報いで満足するという原理で成り立っている。この原理を崩せば、おそらくは、この世界は崩壊する。(中略)さて、イエスはこの配分的正義を否定したのである。(中略)なぜなら、彼は能力主義を否定するからである。天の国では、能力のある者も、能力のない者も、功績のある者も、功績のないものも、一人一人が「かけがえのない唯一者」であり、比較を許さない絶対者であるからである。人間が「神の似姿」であるというのは、そういう意味なのである。

葡萄園の労働者の例えからの話だが、イエスはあえてこの世界を崩壊させかねない恐ろしい教えを説いたのだ。そもそも「敵のために祈れ」だの「頬を殴られたら、片方の頬を出せ」といった復讐を明確に禁ずる教えも、それを実践すると社会生活を営むことが極めて難しい。しかし、あまりに過激な思想だが、それが故にわかりやすく、そして示唆にも富んでいる。

貧しい人は、本当の意味で愛を贈り、受ける。可能性のうちに立つのである。
なぜなら、愛は支配の反極であるからである。すべて力は必然的に支配するものになり、支配する者はどんなに変装しても何らかの形での暴力であるからである。だから、愛を求める者は力を捨てなければならない。

ユダヤ人のように支配を受け続けた人たちこそが、たどり着く考えなのかもしれない。ギリシア人には考えられない思想である。ユダヤ人にもかかわらず、律法を守る人たちは権力を持ち、ローマの威光を借りてユダヤ社会を支配していた。イエスにはそういう人の偽善が許せなかったのだろう。

そして、支配者はイエスを見逃すはずはなく、磔にする。イエスの最後は悲惨だった。

エスの無力さは、「私の神よ、私の神よ、どうして私を見捨てたのか」というほとんど絶望の叫びにまで至っている。弟子たちはみな逃亡し、神にまで見捨てられたのではないかという恐れのうちでイエスは弱さの極限において果てたのである。

これは、「マルコによる福音書」第15章34節にある言葉である。
もちろん信者の人たちはこのようにはイエスがほんとうに絶望したとは受け取らない。だが、信者でない人間からするとあまりにも悲痛な叫びにしか聞こえない。

この新約聖書に関する部分は、付箋だらけになってしまった。このあと、パウロそして、現代思想に繋がっていくのだが、まだ私には難しかったようだ。また、時間がたったら読み返してみようと思う。

清沢冽 外交評論の運命

今週は、コロナの影響もあり、出張がリモート会議になったせいで、病院に行ってきた日以外はほぼ家から出ず。
3連休はゆっくり本を読むことができた。読んだ本の感想を書いていく。

清沢冽 外交評論の運命(中公新書

honto.jp

暗黒日記を読んでから、著者の人生を知りたくなり、読んでみた。

研成義塾は、内村鑑三の影響を受けた無教会派のクリスチャン、井口喜源治が、明治31年に創立し、34年に正式の認可を受けた小さな学校であった。

家庭は裕福だったものの、兄が旧制中学で落第したため、進学できなかったようだ。「お手軽な補習教育」というつもりで進学したようだが、この選択は彼に決定的な影響を与えた。それはキリスト教への帰依ではない。アメリカへの移住のきっかけを開いたことだ。この学校はアメリカへの移民を積極的に支援していた。清沢はキリスト教は途中で棄教するが、晩年に暗黒日記でも繰り返して青山学院や立教大学など、キリスト教の学校に対する戦時中の弾圧について何度も言及している。

死んだと思って家族はアメリカへ送り出してくれた。彼は働きながら、大学の聴講生になったりもしたようだ。やがて、文才を発揮し、日系移民のための新聞社の記者になる。
彼はそこで、日系移民への差別に直面する。彼らが仕事を奪っているというのだ。土地の取得に制限を加えようとするなど厳しい状況におかれた。しかし、極めて冷静に状況を分析し、それを記事にしている。それができたのは、アメリカが持つ意見の多様性だった。つまり、それを差別であると批判するアメリカ人も少なくはなかった。それを彼は見ていたのだ。

のちに彼は帰国し、日本の新聞社である中外商業新報(のちの日本経済新聞社)で記者として働くことになる。だが、帰国したため、30歳過ぎで徴兵される。

清澤は入営早々に松原にはがきを送り、最初の教練で前へ進めとか右向け右といった号令にも逆らい、入営翌日にして営倉入りとなった

運動はだめで、軍隊の文化に全くなじめなかったようだ。これが、後の批評活動にも大きく影響している。足のけがで除隊したが、陸軍ではほぼ厄介払いに近かったようだ。

仕事に戻ってしばらくたった頃、関東大震災が起きる。そこで社会主義者朝鮮人や中国人などの外国人に対して、虐殺事件が起きた。彼は、妻と娘を震災で失いながらも、自分が移民としてアメリカで受けた差別の裏返しとして、この事件にとても憤慨している。

異人種に対する迫害や群集心理が生み出す極度の興奮は、彼にとっては未知のものではなかった。清沢によれば、朝鮮人に関する流言に最も狼狽したのは軍隊であり警察であった。軍隊や警察こそ普段から朝鮮人を最も虐待し、彼らの犯行の危険を最も恐れていたからである。朝鮮人虐殺は、したがって旧式な軍国主義、狭量な国家主義の行き詰まりを如実に示したものととらえられたのである。(「震災と朝鮮人」『新世界』1923/11/6 -9)

そして、無政府主義者大杉栄虐殺事件にも大きな衝撃を受け、彼は「甘粕と大杉の対話」という一篇を書いて、それを批判した。
彼は、軍隊、そして官僚、警察、そして国会主義という全体主義に対して極めて厳しい批判を見せる。例えば、こういう文章を書く。

ある華族が芸者と心中未遂事件を起こして平民に格下げされた事件を取り上げる。自分はかつて平民であることを恥じたことはない。それなのに品行が悪いから平民にするとはけしからん。むしろ平生品行の悪いのは華族の方ではないか。

特別高等とか高等係というから弁当の種類か何かだと思っていたら、警察で社会主義者を対象とする連中らしい。それが高等なら泥棒を捕まえたり、人民を保護したりするのは下等なのだろう。警察がむやみにいわゆる不穏文書の取り締まりなどに力を入れ、一般人民の保護に不熱心なわけがやっとわかった。(中略)しかし、我々が怖いのは不穏文書なのではなく、下等の泥棒の方なのだが。

大正が終わり、昭和になると、日本は中国進出に傾斜していく。彼の仲間で後の総理大臣となる東洋経済新報社石橋湛山らとともに植民地経営や膨張主義帝国主義)を批判し、自由貿易の拡大による国富の増大を主張する。例えば、山東出兵の収支バランスを次のように検討している。

山東に居住する日本人は2000人。投下資本総額は57万円、その他に山東鉄道関係の債権があるが、それらをすべて含めて、日本の「権益」は350万円を超えなかったと清沢は計算する。しかるに、これを守ろうして行った出兵の費用は海軍関係を除いても3740万円を超えていた。それ以外に出兵によって失われた多くの人命があり、また中国が山東出兵に抗議して始めた日本製品ボイコットがあった。これによる対中国輸出の減少は2億円にのぼると清沢は見積もった。しかも山東権益は守りえたわけではなく多くの居住民が引き上げざるをえなかったのである。

山東出兵に関しては多くの知識人も批判したが、それに加えて満州の経営も同様だと主張している。結局、日本は大規模な資本を満州に投下し、軍隊も大量に駐屯させているが、それから得る利益は、それにたいして十分とは言えず、むしろ中国との貿易による利益の方が圧倒的に大きいという。少なくとも、国富を増大させるという意味においては、全く意味をなしていないどころか、マイナスなのだと。

しかし、日本は満州事変からさらに上海事変へ至り、米英の世論を燃え上がらせてしまう。そして、松岡洋右全権は国際連盟を脱退する。松岡と清沢は境遇がすごく似ていた。両方ともアメリカで苦学し、アメリカの大学に学んでいる。
ただし、松岡は強硬外交を進めることになった。清沢はそれを批判するが、その差は一体何だったのだろう。著者はそれを2点挙げている。

面白いのは、清沢がヨーロッパに派遣された時のことである。彼は日本を代表するという状況になって初めて、外国で日本の帝国主義施策を擁護する立場におかれた。彼は自嘲気味に「小松岡のロールを演じて自ら苦笑す」と日記に書いている。実際に他国から日本を攻撃されると、普段は日本の政治を批判する彼ですら、日本の立場を強硬に主張した。
もしかして、清沢も民間でなく、政治家になっていたら、同様の主張をしたであろうか?

その後、様々な主張をするが、ことごとく彼の提案は無視され(やや無理な主張もあったが)、悪い予測は的中して、日本は敗北へと進んでいく。戦中はほぼ言論の機会を失うが、とても裕福であったようで、実業界にも支援者が多く、軽井沢の別荘で過ごしたり、ゴルフをしたという話が「暗黒日記」にも出てくる。
しかし、突然、終戦までわずかというところで、肺炎で亡くなる。東京への空襲が激しくなり、葬式も満足にできない状況だった。

本書は清沢の人生と、その中で表した著作を紹介している。そして、なぜそのような思想が生まれたのかを考察している。アメリカの日本人移民の間でも清沢の思想は異質なものであった。海外の日本人社会の方が、日本に対する愛国心がより強くなるようだ。
また、常に右翼に批判され、言論の場を奪われる一方で、大恐慌の中で影響が少なく、資本主義の限界を主張する共産主義者からは、清沢の自由主義は古い思想であると無視された。

だが、彼は右翼と左翼は自由な言論を許さないという点で、間違った思想であると考えていた。つまり、どんな場合でも、建設的な話し合いと寛容を原則とするなら、理想ばかりを押しつけ、妥協を知らない極端な思想は同じように見えただろう。また、大きなものに頼り、権威をあがめる、いわゆる事大主義を批判し、その手先である非効率な官僚制を批判し、民間の力を信頼した。満州経営がうまくいかないと考えたのも、国家による補助・保護が先行し、官僚が仕切っている国策会社満州鉄道中心の植民地経営では行き詰まると考えていたようだ。

清沢は大久保利通を尊敬していた。大久保は士族の不満等を一蹴し、日本の建設のために自分の信じる道を進んだ。明治の偉人はそれができた、といっている。だが、昭和初期の日本は、政治家が自分の信じる道を貫ける状態ではなかった。テロが頻発し、政治家の多くが殺された。それは汚職を繰り返した政治家を信じず、私心のない軍人を信じた世論というものに生み出されたものである。世論に迎合し、外交手段の多くが失われ、戦争へと進んだ。ポーツマス条約に怒った世論にも屈しなかった政府では、もはやなかった。
清沢も、戦前の多くの知識人も、日本の国体は天皇であり、アメリカは世論の国だと言ったが、本当にそれは正しかったのだろうか