2024/06/19 診断士更新研修

お昼から診断士更新研修。両国へ。午後いっぱいを使う。初めは中小企業に対する背策について。いろいろな補助事業がある。こういうのを紹介するのが診断士なのだろうが、どちらかといえば、自分の会社に適用できないか検討する必要を感じた。個別原価計算が価格交渉に必要らしい。確かにそうかもしれないが、小規模企業でどうやって個別原価計算を行っているのか興味がある。
そのあとはイノベーションに関する講演。とても長いが面白く聞くことができた。初めはiotで大田区の製造業を支援するといったものだったが、そんなものは意味があると思えないというのは同感。いきなり技術から入ってどうするんだと思うことが多い。
より確かなニーズを探っていくと、費用を削減するIT技術の導入よりも、売上の減少が課題となっていることがわかった。おそらく多くの小規模企業に必要なことだろう。費用の削減が必要なのは売り上げを順調に拡大している企業であって、仕事に忙殺されているような会社だが、そのような会社は小規模企業にとどまっていることも少ない。そこで、事業を拡大させる戦略としてソリューションを提供できるコンサルタント事業を立ち上げようとされていた。確かにニーズもありそうであり、強みを発揮できる可能性はある。しかし、一方でとても難しい話だとも感じた。機械加工という職人技の世界から、いわゆるソリューションの事業というのは全く違う性質の仕事であって、それを提案し、実現することの難しさはあったのではないかと思う。それがイノベーションというべきものだとするならば、

  1. 新しいことに挑戦する動機づけをどこまで維持できるか
  2. 外部資源(大田区の機械加工業以外の企業)といかにつながりを作り、適切に協業できるか
  3. 現在の強みから新たな強みをいかに拡大し、創出できるか

という課題をいかに解決できるかという点がポイントであるように思った。
私の仕事は、売り上げ拡大よりも費用抑制側の仕事であり、新たな事業拡大を提案する仕事ではなく、現状の業務の把握に時間を費やす仕事を行っている。そういう意味では私の仕事との距離をずいぶん感じるとともに、自分自身の会社でイノベーションを起こすとしたら何がいいだろうということを考えながら、講演を聞いていた。

Frontiers

NHKの新番組であるFrontiersの録画を続けて2つ見た。

www.nhk.jp

まず、日本人はどこから来たのか。いわゆる縄文と弥生の2段階説というのが定説だったが、最近の研究で、むしろ古墳時代にやってきた東アジアの広範囲にわたる人々の遺伝情報がかなり重要になってきたらしい。

現代日本人(東京)の縄文のDNAの割合は1割程度に過ぎないが、弥生も同じくらいに過ぎないという。とすると、それ以外の遺伝は何か?それは実は東アジアに広範囲に分布していている遺伝情報が様々見られる(番組では、「謎の集団」と呼んでいた)という。つまり、古墳時代は様々な民族や言葉が行き交うカオスな状態だったのではないかという新しい仮説が紹介されていた。

古墳時代の初期は卑弥呼の時代でもあり、中国は後漢末期で人々は戦乱に苦しんでいた。このような混乱した事態から逃れるために、中国などから人が大量に移住してきたのかもしれない。万葉仮名を使った言葉による記録が少しずつ現れ始めてくる。この時期にはすでに天皇(大王)はいたことになっているので、その統治下で移民が増えるとなると、政治はたいへんなことになっていたことだろう。

縄文人に近いと言われているタイの原住民の人たちの顔は、眉の上が盛り上がっている。一方、日本でも最も縄文の遺伝が濃いアイヌ人ともあまり似ていない気がする。当時の縄文人は全身が入れ墨だらけだったらしいが、あまりそういう感じもしない。入れ墨は色が黒かった祖先への敬意だったのだろうか。ただ、顔を真っ白に塗っていた女性がいたのは、日本の文化にも似ている気がした。

www.nhk.jp

AIの最前線の話。「推測することが知能である」という指摘があった。ChatGPTは文章や文字の続きを膨大なデータベースから確率で求めているという。つまりそれは人の気持ちを推し量ることに近い行為なのではないか、という仮説である。面白い指摘のような気もするが、ただなにかわからないもやったした部分が残る。

人間の脳は電球一個くらいで膨大な計算ができるため、効率がすごいという。そこから、実際の脳細胞を使ったコンピューターができないか研究しているという。すごそうだが、できていることがまだまだすぎて、有望なのかどうかはわからなかった。

法学入門18

法律については、診断士試験の頃から苦手意識があった。もちろん覚えきれないという問題もあったが、法自体の体系、用語、論理がまるで飲み込めず苦労したことを覚えている。シラバスを見るとこの授業は2回目がイスラム法に関する内容であることを知り、そこから少し興味を持って受講してみた。

この授業は、法の地域における多様性からはじまり、歴史的な法概念の成立・継受(他国の法制度を受け入れること)の経緯、法と道徳や正義との関係から、最後は国家間の法である国際法を学んでいく。個別具体的な法ではなく、法律のいわば土台としての思想を習得することを目的としている。

1回目の授業で、「法の不知はこれを恕せず」(法を知らなくても、許されない)という原則がある一方で、すべての法を熟知している人は、専門家も含めていないということを学ぶ。しかし、これはまるでおかしい。これでは人はまともに生活できないようにすら思えてくる。
なぜ、生活できているのだろうか?回答は特に記載されていないが、理由をいくつか考えてみた

  • 法は共同体の中にある道徳とは密接関係にあり、我々が持つ一般的な道徳概念に反した形の法というのは、あまり存在しない。仮に存在したとしても法は変化を求められる
  • 契約などの重要な約束(契約は約束の部分集合)、公的機関が出す規制、税制など、については、専門家によるサポートにより、あらかじめ紛争などがおこらないようにすることができる(予測可能性)
  • 自動車の運転などの法規については、免許を取得する上で、試験などを通じて学ぶ機会がある

とはいえ、とくに単に生活をしているだけではあまり気にすることはないかもしれないが(近所からの迷惑行為などはあるかもしれないが)、仕事として会社員ではなく、起業などをする上では、とくに国家機関による規制および税制に関しての知識は必要になるだろう。
刑事としては、通常は、他人の権利を侵害しないということ、しいていえば社会を悪くするような反道徳的行為に関しなければ、概ね問題はないと思われる。

中国の歴史的な法概念を学ぶと、現代の日本にも影響を与えているように思えたのは、個人的には最も意外な発見であった。あるべき裁判の姿という概念は、時代劇や古典の物語の影響によって作られているのかもしれない。
同時に、あまり関係はないかもしれないが、道徳の観念も、子供の頃に読んだ童話が無意識のうちに影響しているようにも思った。

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

乃木坂の国立新美術館にて鑑賞。お目当てはジョルジュ・ド・ラ・トゥールの女占い師だった。

https://artmuseum.jpn.org/onna.jpg

(西洋絵画美術館より)

中世の宗教画からはじまり、ルネサンス、そして印象派、ポスト印象派へと西洋美術史を概観できる。私は詳しくはないが、せっかく放送大学の学生になったので、美術館の割引を使ってみたかった。あと、私派の好きな「ぶら美」でも推されていた展覧会ということもあった。

この展覧会で一番見入ったのは、マリー・ドニーズ・ヴィレールの「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ」である。

ja.wikipedia.org


全くの無名画家が描いた肖像画である。女性画家ということもあるのか、不幸なことにジャック=ルイ・ダヴィッドという有名画家の作品とされてきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/女性アーティスト#芸術史における女性の不当な扱い

この肖像画は、なぜか逆光で描かれている。これはとても奇妙なことだ。「ぶら美」でもふれられていたが、女性画家は女性の肖像画を注文されることが多かった。なぜかといえば、女性は「女性がそうであってほしい」という美しさを盛って書くことができるからだという。しかし、この絵はその法則に合っていない。

この女性は逆光の中で、すこし微笑んでいるようにもみえる。しかし、逆光なのだから、幸せに包まれているようには見えない。窓の外には男女の姿があり、なぜかその窓は割れている。彼女は窓からその男女をみて絵を描いていたようだ。その途中で、身を屈めた横向きの姿勢から、こちらを見ている。

この絵を発注したのはここに描かれている女性だとしたなら、なぜこのような場面を選んだのだろう。そして、もっと美しく幸せそうに描かせなかったのだろう。

マリー・ドニーズ・ヴィレールはwikipedia日本語版には記事がないが、英語版には記事がある。この作品は彼女が27際の時の作品で、そのときにはすでに結婚をしていたようだ。通常、女性画家は結婚をするとプロの画家としては引退することが普通だったようだが、彼女は夫のサポートもあり、プロの画家を続けることができたとある。

ルーブル美術館にも所蔵されている彼女の作品がある。黒いドレスとベールをかぶった女性が、靴紐を直そうとしている所を描いている。

artsandculture.google.com

タイトルが A study of a woman from natureというらしいが、何のことか全く分からない。肖像画としてはやはり奇妙だ。他にもいくつか作品があるようなので、日本に来たらぜひ見てみたい。

なお、隣に展示されていたのは、同じ女性画家のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによる「ラ・シャトル伯爵夫人」であった。あまりに普通の美しい女性の肖像画で、それよりも二回りは大きいマリー・ドニーズの作品の異様さが際立っていた。

ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律

タイトルからすると、なにかビジネス書の要約をまとめた本のようにも思えるが、実際はそうではなく、ビジネス書が述べる結論や法則といったいわば「黄金律」がいかに矛盾し、珍妙なものかを暴いている本である。

たとえば、本書の教え23の「ひとつのことをやり続ける」というものと、24の「ひとつのことをやり続けない」というのは相互に矛盾している。本書では、中でも極端な例の内容が示されており、私は一番好きな箇所だ。

おぞらく、この教えはどちらも正しい。そして、どちらかに言い切ることは間違いだろう。だが、おそらくそれではビジネス書としては成立しない。どちらかに答えを求めている人がビジネス書を求めているのだから。

このビジネス書の役割は、占いに似ている。将来に不安な人に対して、背中を強く押してくれる。もし、不吉な結果なら、他の占いを試せば良い。ビジネス書も同じだろう。もし、自分に合わない方法を示すビジネス書であれば、それはBOOK OFFに売ればよく、別の本を買えば良いのだから。

ビジネス書に求められていることは、一貫性のある客観的な事実ではない。自分がそうなりたいと思える人(ロールモデル)の考え方やふるまいを知りたのだ。そして、自分が明日から実行できることなら同じことをしたいし、自分が迷っていることがあれば、強引に結論を導いて欲しいのだ。

中には疑似科学や心霊的(スピリチュアル)なビジネス書のことも述べられているが、これを書いたビジネス書の著者も本気で事実だとは思っていない気がする。そうではなくて、「そういう世界だといいな」「そういうようにみんなが思ってくれたらいいな」という願望を書いているように思える。一時はやった「江戸しぐさ」みたいなものの一種ではないだろうか?それに共感する人が一定量いればそれで成立するのだろう。

私は著者のYoutubeを見ていたので、本書を読むことはいわば復習のようなものでもあった。スパチャを1度打って、著者が面白そうに反応してくれたことはいい思い出になった。

ところで、本気で「黄金律」を求めていた人はどんな気持でこの本を受け取るのだろうか?それは少し興味がある。

大阪城(3月)

コロナウイルスは収束するようでしない。どこまで気を使うべきなのかがわかりにくい。

大阪城

法事のついでに、大阪城へ行く。小さいときにいっているはずなのだが、ほぼ覚えていない。天守閣の博物館はとても充実している印象があり、豊臣時代と徳川時代大阪城の模型は、とてもよくできていた。

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大阪城

大阪歴史博物館

大阪城の外堀に隣接する歴史博物館。資料展示よりも、お金のかかる再現展示が多く、あまり興味のない人でも楽しく見られる工夫がされているように思った。

難波宮の官人たちの再現をみると、いかに漢風(唐風というべきか)の影響が大きいことがわかる。平安時代の装束と比較して欲しい。

窓から難波京の全景を覗くことができる。

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難波宮の全景

中央に白い大極殿の基壇が見えるが、この手前にある8角形の建物が見えるが、これが八角殿とよばれる建物を模したものである。これは、前期難波京だけにみられる形式で、それ以外の宮城には見られない形式らしい。法隆寺の夢殿のような建物であったのではないかといわれる。
手前が内裏なのだが、阪神高速が横切っている。

下の階に降りるとだんだん現代に近づく。
初めて知ったことは以下の通り

  • 堺は摂津、河内、和泉の三国の境にあった
  • 上町台地はほぼ上町筋にそっている
  • 昭和初期は大大阪といわれ、東京よりも人口が多かった
  • 喜連は伎人郷ともいわれ、渡来系の人が中心となった、環濠集落である。摂津と河内の境界でもある。(特別展)

ポンペイ

今週も、あいかわらずコロナが収まらず。家でゆっくり本を読むことに。また感想を書きたい。

その前に、東博の特別展へ。写真が撮れるので、私もいくつか撮ってきた。

pompeii2022.jp

ポンペイは1世紀に滅んだ。ローマとしては帝政が始まったばかりの時期で、まだ右肩上がりの時代だ。
そのせいか、とてもギリシア文化の影響が大きく、先日書いたギリシア彫刻の特徴がそのまま現れている。



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ギリシア彫刻のコピーとのこと。表情が乏しい一方で、理想化された美を描いている。

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商業ではとくに女性が活躍していたようだ。ここに描かれているのは、女性詩人とのこと。

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たこ焼き機みたい。

中には「ファウヌスの家」の一部が再現され、あの「アレキサンダー大王」のモザイク絵がある。あれはポンペイから発見されたものだったとは。

まだまだ発掘は続いているらしい。これからもまた、新発見から展示会があるかもしれない。