本を読む

連休は、周りの人達が忙しく、空いていないとのことと、新たなPCがやってくるとかで家でおとなしくしていました。
2万円近く本を買ったのも久しぶりです。

今回は宗教関係の本を紹介します。

つぎはぎ仏教入門

つぎはぎ仏教入門

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

法然入門 (ちくま新書)

法然入門 (ちくま新書)

私の家は浄土宗なので、浄土宗関係の本を読みたいと思っていました。そこで宗祖でもある法然の本を読んで見ました。そうすると、その前に読んだキリスト教の本と合致する部分が多く感じました。そこで、呉智英先生の本を読み、同じ事をわかりやすく述べておられ、納得しました。
そもそも仏陀のはじめた仏教と、浄土教の教えは今ひとつ合いません。むしろキリスト教に合います。呉先生の本によると仏教徒は「覚りの宗教」であり、キリスト教は「救いの宗教」だといいます。だとすると、明らかに浄土教の教えを受け継いだ浄土宗は、キリスト教なのです。
法然の時代は末法の世でした。鎌倉時代は戦乱に明け暮れ、人心は荒廃していました。そんな世の中では覚りではなく、救いこそが宗教に求められたはずです。浄土教は現世である穢土から浄土への生まれ変わりを阿弥陀如来に託す教えでした。それは、一神教にもつながる、キリスト教的な教えです。キリスト教も生まれはユダヤ国家という戦争が絶えないところで起こりました。人は絶望に打ちひしがれて、生きていく事自体が難しかったはずです。そのようなところへ、キリストは救いをもたらしました。キリストは今の悲惨な状態から、最後の審判で生まれ変われることを約束しました。
また、法然はどんなひと、どんな悪人でも救われるとときました。キリストも同じように、昔からの信徒で戒律を破らない人だけではなく、悔い改めれば、今からでも救われるとときました。
日蓮は自分の教えを信じる人は迫害されるとときました。ユダヤ教もほぼ同じことをいっています。
このような遠く離れた宗教の性格の一致は一つの構造なのではないかとおもいます。つまり、実は多様なようで、同じようなパターンを持っているにすぎないのかもしれません。
自然が主な脅威のときはアニミズムが、人が脅威となっていくときは一神教が、人々のニーズに合っていたのでしょう。そして、仏陀の仏教は一神教でもなく、アニミズムでもありません。だから、廃れてしまった、あるいは形を変えたのでしょう。宗教は正しさで広まるものではなく、その社会の状況の中で人が信じたいものを提供できるかで広まるのでしょう。