僕は明日もお客様に会いに行く

僕は明日もお客さまに会いに行く。

僕は明日もお客さまに会いに行く。

私はずっと技術畑でやってきたため、営業というものが一体どういうものなのかを知らない。もちろん、営業の人とあったことはある。そして、営業の人に物やサービスを売られることも経験している。その経験から、私は営業という仕事自体に厳しさしか感じていなかった。人に拒否されても食い下がる、そんなことは私にはできない。というよりも、できるかもしれないがやりたくない。だから、性格的に向いていないと思っていた。
本書は、生命保険の営業として入社数年目の主人公が、トップセールスのメンターに指導を受けて、変わっていく、という小説である。もちろん、著者が伝えたいのはその成功するために必要なものとは何か、ということである。ただ、それはシンプルな内容なので、著者は概略を書いたとしても伝わらないと考えて、ストーリー仕立てにしたのだろう。
では、トップセールスになるために必要なこととはなんだろうか?もちろん、トップセールスになりたいという意思である。しかし、そんなことは日本全国のあらゆる営業現場で言われていることだろう。あえてこの本が指摘をするまでもない。商品に対する知識か、いや、そうでもないという。なぜなら、同じ製品を売っている営業マン同士で差がつく理由にはならないからだ。では、一体なんだろうか?著者は主人公を通してこう語る。

僕は営業の仕事を完全に、商品を売ることだと考えてしまっていた。(中略)営業マンも商品の一部だということをいっているんだ。

つまり、営業とは商品(サービス)の一部だということである。サービスであるからには顧客に喜んでもらうことをしなければならない。たとえ仮に自分の商品が売れなかったとしても。
でも、よく考えれば、あたりまえである。仮に強引に顧客に売りつけたとしよう。多少は騙したりして。しかし、それは長続きするはずがない。いつかは顕在化してしまう。そうすれば、結局、会社としては短期的な利益を上げることはできるし、営業マンは短期的なノルマを達成できるかもしれないが、全体の売り上げとしては悲惨なことになってしまう。それだけではない。信用を失うことで、顧客の関係者にも悪影響を及ぼす。長期的にはまったく不経済である。

どんな人もその人なりの物語を持っている。その物語の中に少しだけでもいいから自分たちが入らせてもらって、物語をさらに素敵にしていけたら最高だよね。

物語を知ることは大変である。売りたい、最も利益率の高い商品から説明して、それを拒否されれば、すこしずつ利益率の低い商品を説明すれば、効率が良い。もっといえば、黙っていても売れるような決定的に差が付いている商品を開発すれば良い。営業はただ商品の説明をすれば良いだけだ。でも、それではダメだという。物語を知り、それを改善するということは、顧客の立場にたつということである。営業マンが属している会社の立場に立っていないから、極端な場合商品を売ることをあきらめなけばならないかもしれない。しかし、それでよいという。そういう信頼関係のほうが大切なのだ。そして、そのほうが長期的には利益を生む可能性が高い。
これは、理想なのかもしれない。現実にこのような営業さんがいるとは考えにくいのだが、トップセールスマンの著者が言うのだから、そうなのだろう。

私が関わっているのは、生命保険ではない。情報システムである。しかし、実はあまり差はないような気がしてきた。たとえば、生命保険に加入する人が、どれだけ生命保険の仕組みをしっているのだろう。生命保険とは統計の世界である。統計上のリスクを数値化し、利益を上乗せして、料金を決定している。だが、そんなことはほとんどの人が知らない。それよりも、顧客のおかれている環境からそのライフプランを明らかにして、最終的なサービス、つまりどういう状況で保険金が支払われるのかということだけを、知っていればよいのである。情報システムも同じだ。どのようにプログラムが動作しているのかなど知る必要はない。顧客のニーズに応じたサービスが適切なコストで提供できればそれでよいのである。
とすると、顧客は何をもって、受注をするのだろう。技術力か?いいや、そんなものを客観的に判別できるほどの技術も時間もコストもかけられないはずだ。そうすれば、結局何か、それは信頼する営業マンがいるかどうか、ということである。そのためには、お客様の声に耳を傾けて、その内容を理解し、それに対してお客様にとって本当に価値のあることを言っている人間であると認められることである。

本職の営業でもなく、分野の異なる私がこの本書を冷静に分析することは難しい。しかし、私にとってはとても刺激になる内容だった。その内容はとてもとてもシンプルなのにもかかわらず。
そしてもうひとつわかったことがある、私は技術職といっても、お客様との接触が多い仕事だった。それはつまり、私も営業マンの一人だったのだ。