これからのRIAの話をしよう 〜システムの利用者と開発者にやさしいUXとUI設計について〜

ユーザの効率の改善が、ユーザエクスペリエンス設計の目的なら、「早く」「間違わない」のが最適。その最たる例はgoogleだという。とすると、最適なインターフェースとは、私が思いつくのが、

  • 余計な情報が出てこない
  • 無駄なデータ入力の項目がない
  • ユーザのやりたいことがすぐにでてくる
  • 間違っているかもしれない場合は指摘してくれる(グーグルの「もしかして」機能みたいな)けど、問題なければ間違っていない前提でもとりあえず処理してくれる
  • なれている人のためのコマンドがある(グーグルのマイナスコマンドなど)。でも、対話的なインターフェースもある
  • とりあえず、マニュアルはいらずに操作はできる。でも、ヘルプもあるにはある。

といったところだろうか?

なぜソフトウェアアーキテクトが必要なのか〜未知なるソフトウェアに形を与えよ〜

アーキテクチャとはソフトウェアの構造のことではない。これはストラクチャである。アーキテクチャとは、システムに対する様々な利害関係者、すなわちユーザ、プログラマ、運用者、経営者の関心事と整合するように、システムを分割したり、組み合わせたりすること。
私が携わってきたシステムは比較的小さかったせいか、アーキテクトという人にあったことがなく、アーキテクトというものがどういう仕事なのかよくわかっていなかった。なんとなくインフラ的な仕事かと思っていたが、もっと業務なものだった。ただ、やっぱりそれでも、大規模なシステムでないと、このような仕事だけを専任する人はいらないような気もする。開発者はアーキテクト的な視点というのを常に持っていてほしい。誰かに任せるのではなくて。
逆に、プロジェクトマネージャ的な人というのは小さなシステムでも必要ではないか?
DDDはまだよくわかっていないので、これから情報収集する。

プログラマが知るべき、たったひとつの大事なことがら

和田さんのいままでとこれからのお話。デスマーチから逃れるために、OOなどの技術的な解決により、完全な設計を目指していた時代から、テストファーストとの出会い、そして普及活動へ。
私も、テストファーストとの出会いまでは似た感じだった。デスマーチプロジェクトにいて、これをなんとか改善できないか、もがいていた時代だった。石井さんを知ったのは和田さんよりもさらに早くて、Perl/Ruby Conferenceという2000年に京都で開かれたカンファレンスが最初だった。もう11年も前になる。2万円くらい?した受講料を支払って、RubyUnit&XPというチュートリアルに参加した。このチュートリアルは石井さんと、RubyUnitの作者の助田さんのお二人による講義だった。座ったままで講義されているスタイルがちょっと斬新だったことを覚えている。クラス変数に関する扱いを質問したことも覚えているが、講義の詳細は忘れてしまった(たしか、助田さんがRubyを石井さんに勧めたのが、RubyUnitを作るきっかけだったみたいなことをはなされていたような)。ただ、すくなくとも「Rubyを256倍使うための本 極道編」を読んだときに既知のことが多かったので、きっと役に立っていたのだと思う。
和田さんは2002年のカンファレンスで石井さんに声をかけて、そこから様々なことを学ばれたという。私はその頃、会社を辞めて大学生の生活に戻っていた。2005年に福知山脱線事故があり、石井さんがなくなれられから、和田さんはいろんなところで普及活動をされている。私が和田さんを知ったのは、今確認したところ2006年のSeasar Conference 2006 Autumnのようだ。ここで、TDDの話をされている。このとき、石井さんの文字がスライドにあったのを見つけたが、そのことについてふれられなかったような記憶がある。
多くの人とであい、そしてそこから学び、さらにそれを伝える、そのサイクルをどんどん大きくしていこう。それが、大事なことがらだということだよとおっしゃっていたのだと思う。私も多くの人と出会うのは好きだけど、学ぶのは結構大変だ。学ぶ意欲は、デスマーチに埋もれ、あがき、苦しんでいた時代の方が、大きかったように思う。ここが私と和田さんとの大きな違いなのだろう。

ハッカー中心の企業文化を日本に根付かせる

金儲けのスーツ集団からクールな技術が好きなハッカーによる企業文化を紹介されていた。正直に言うと、ハッカー中心というのは私はあまり好きではなくて、むしろ、「ハッカーも中心の」であってほしいと思う。ハッカーの地位が低く、命令に服従することだけを求められる企業というのは、死屍累々の悲惨なことになるのは、まあともかくとして、逆もやりすぎだと思う。様々な利害関係者が対等に話をできた方がいい。だから、どちらが中心とかではなくて、常にプログラマや経営者、営業、そういう人たちが対等に議論を戦わせている文化の方がいいと思う。
ただ、日本の大企業は、厳密な管理が好きな経営者・管理者が多いような気もするので、そのあたりに風穴を開けたいということなら、すごく納得なのだが。