「男らしさ・女らしさ」日本の高校生は意識希薄

日米中韓で行われた「高校生の生活と意識に関する調査」で、日本の高校生は「男は男らしく」「女は女らしく」といった性差意識が突出して低いことが16日、教育研究機関のまとめで分かった。

他にも「結婚前は純潔を守るべき」とか、「学校のずる休み」、「親に反抗する」、「先生に反抗する」、も批判は他の3か国より少なかったということらしい。
FM盛岡の番組でこのニュースが紹介され、DJの人は「日本はどうなるのでしょうか」といっていた。
当たり前やんと思う。このような意識というのは倫理という問題に該当する。つまり論理的には解決することができない問題である。女性が女性らしく、男性が男性らしくなどというのは別に論理的な帰結があるわけではなく、そういうことになった方がなんとなく社会的にうまくまとまりそうだからという理由だろう。しかし、倫理を権威づけるために必要なのはやはり宗教の教義である。この宗教意識が極めて希薄な日本社会においてこれらの意識が低くなるのは当たり前であろう。
これの質問をフィンランドでするとどうなるか、興味深いところだ。フィンランドのように女性の参画が進んでいる社会ではもっとこの値は低くなるように思う。
そしてアメリカが急速に保守化し、原理的なキリスト教的倫理観が復活しつつあることもよく分かる。