チョムスキー9.11 Power and Terror

前に買ったDVDの鑑賞。チョムスキーってやっぱりすげぇ。と子供のような感想を思ってしまう。
9.11は世界的には別によく起こっている現象なのだと。ただ抑圧している大国が抑圧されている国によって攻撃をうけるということは「歴史的」だと。
彼はうまいたとえをいう。中国を占領していた頃の日本が、東京に中国人によって攻撃をうけるようなものだ。と。
わかりやすい。
アメリカは国内のことしか関心がなく、他の国のことに対する関心が薄いという。例えば、9.11の攻撃でアフガニスタンイラクに爆撃を行ったが、この理屈でいえば、ニカラグアでアメリカが何百人を殺害した爆撃の報復として、ニカラグア軍がアメリカを爆撃するということが正しいということになる。が、そういうことを考えることができないらしい。
とくに中南米はアメリカによる「テロ」を受けてきた。よって9.11に対する中南米諸国の反応はきわめて皮肉に満ちたものだったという。
このあと、ダグラス・スミスと鶴見俊輔の対談が収録されている。スミスはおもしろいことをいっていた。言語学と政治活動は全く関係がないと映画では彼自身がいっているが、そうでもないだろうという。
その例として彼の言語理論は「生まれながらにして言語の能力を人間はもつ」というものであり、ここに人間は平等であるという概念が徹底されているのではないか?という。
映画でチョムスキーが指摘していたが、チャーチルはアラブ人に対して「野蛮人がイギリスにたてつくなら、どんな残虐な兵器を使ってもかまわない」といったと指摘した。野蛮人というのは英語でbarbarianという。これはローマ人が他の他の野蛮な人たちの会話が「バルバルバル」としか聞こえなかったことによるらしい。で、彼らの言語は論理的なまともな構造をしておらず、文化の水準が低いという見方をしめしている。
チョムスキー言語学は人間全般に普遍化されたものであり、言語を一般的に扱っている以上、「ばるばるばる」という言語はあり得ないことになる。
鋭い指摘だ。チョムスキー言語学について学びたくなる。