図説 特攻 ふくろうの本(ISBN:4309760341)

お気に入りの図がたくさん入った「ふくろうの本」シリーズのひとつ。特攻の創設された経緯、具体的な戦果、特攻兵器の数々の紹介から、特攻隊の名前の由来までとてもたくさんの参考文献をうまく使いながらコンパクトにまとめた本。
特攻隊の人たちの屈託のない笑顔が印象的。10代や20代の若者が「志願した」(実際はそうでもなかった部分もあったことが書かれているが)というから、せっぱ詰まった顔をしているのかと思ったが、予想外に朗らかな表情をしていて驚く。一種の達観だろうか。
この本にも書かれているが、実際に戦果を上げることよりも死ぬことの方が重要だったのであり、それは天皇や敵軍への一種のアピールだったという。しかし、それが戦果を上げてしまったが故に、逆に総特攻に切り替わってしまう。天皇も、「よくやった」といってしまい、講和にはつながらなかった。(以前紹介した「昭和史」でも「よくやった」は余計だなどと書いていた。天皇の失態の一つだろう)
やはりというべきか、この本でも感じるのは軍部上層部の無責任と節操のなさ、人命軽視・・・など、まさに命は鴻毛のような(オオトリの羽毛のごとく軽い)扱いである。そして、赤紙一枚で招集された名もなき人たちが屍を築いていった。
この本で初めて知ったが、大学生による学徒出陣では予備学生という位になり、士官学校のような尉官の扱いになるというのを初めて知った。何年も軍務についていた人が下士官で、それまで経済学を学んでいた人が少尉というのはおかしな話だが、士官学校というのも大同小異だということだろうか。士官学校合格のためには数学が強いことが必須条件だったらしい。東條英機は数字の記憶が抜群だったいうから、そういう人たちが軍部の中枢を担うべきだという考えだったのだろう。
日本が学歴社会なのもその名残なのかもしれない。
特攻隊の戦果だが、初めは空母などかなりの戦果を上げていたが、アメリカもその被害に対してタスクフォースを組み、対応策を練った結果、特攻の対象はやがて駆逐艦輸送艦などへ変わっていった。
また、飛行機は打ち落とされても、積んでいた爆弾だけがつっこんで命中するなど、奇跡が起こることもよくあったという(この本では爆弾に魂が乗り移ってと表現していたが)。しかし、結局は戦局を好転させることはできなかった。もちろん、そんなことは少し考えれば誰でもわかることであり、死ぬことの方が重要だったということの証左でもある。いわば命と引き替えのアピールだった。