ハウステンボスの過去

次の日はあいにくの雨。お昼頃から、ハウステンボス方面へ。途中、ジャパネットたかたの本社を見る。佐世保市内にもジャパネットの直販店らしいものを見かけた。配送センターが丘の上に立っていて、とても立派だ。
ハウステンボスを遠目に見る。雨のせいか、あまり活気があるようには見えなかった。地元の人も余り行かないらしい。これからも苦しい戦いを強いられそうに感じる。
近くの引き揚げ資料館に立ち寄る。このあたりはもともと戦後の処理で、満州朝鮮半島、南方諸島に住んでいた軍人、軍属、入植者たちが引き揚げてきたところである。彼らは港に上陸し、検疫を受けた後、ハウステンボスのあったところまで歩き、しばらくそこを宿舎としてとどまった。
資料館にはそのとき使用された消毒薬DDTの散布器、帰還者の人たちの手記が展示されていた。中には日本の地にたどり着いて亡くなった人もいたらしい。凄惨な現地からの引き上げは困難を極めたことだろう。
今、引き揚げの現場となった港は釣り船などの港になっている。とても小さなどこにでもある港なので、ここに数百万人の人たちが上陸したところにはとても思えない。ぽつりと小さな石碑がたっていて、近くには小さな神社があった。その神社は私がかがまないと入れないくらい極端に小さな鳥居が二つある。いまにも朽ち果てそうな鳥居だった。中の神社は酷い状態で、今にも完全につぶれそうだった。奥にはご神体らしきものが3つ。すこしあたらしいワンカップの日本酒がそのまえに置かれていた。