女性歌手の「僕」

一青窈とあゆさんは、歌詞に僕を使っているけど、これはきっと男性の歌ではないと思ったので、どういうことかと少し調べてみた。で、見つかったのがこれ。

すなわち「僕」というのは、それだけ「少年のような未成熟で純粋な印象」のある言葉で、女性の一人称にはない言葉なのです。
ですので「僕」とあえて使う女性は、「私はそれだけ純粋で未成熟な存在として見られたい」という気持ちがあるのではないかと考えます

なるほどね。すこし距離を置いているのかも。歌詞の中の自分と現実の自分に何か差をつけているのかもしれない。歌詞の中の自分、つまり「僕」はもっと純粋でまっすぐな本当のことがいえる自分なのかな。あるいはもう失ってしまった純粋さや幼さの象徴なのかも。
とすると、対置される「君」はもしかしたら現実の自分のことかもしれない。もちろん、誰かのことかもしれない。誰かのことを「君」とよんでいるなら、その人には純粋でまっすぐな想いが今の自分には届けられないことを暗示している(仮託している)のかな。
「純粋で未成熟な存在として見られたい」というのは、純粋さと未成熟さに憧れがあって、そういう自分を他の人に歌で伝えたいということなのだろうか?