ついにきた

わりとウォッチしていた千夜千冊http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.htmlについに宮沢賢治がきた。第九百話ということで、「銀河鉄道の夜」があげられている。今回はとても長い文章でとても一気に読めない。そしてほとんど理解できない。例えば

言いたいことはまだまだあるけれど、一言でいうなら、宮沢賢治とは精神の極北における“編集化学の原郷”ともいうべきを、言葉のコンステレーションで示し続けようとした人だった。

わかりません。なんとなくは、わかるんですが。
岩手といえば、やはり宮沢賢治石川啄木が有名だけれども、私はどちらかといえばやはり宮沢賢治の方が気になる。それはやはりこういう人だからだ。

よく知られているように、賢治はのちに法華経に傾倒する。もし賢治と法華経の関係を無視したり軽視したりしている読者がいたとしたら、その賢治は日本人ではないのだろう。

賢治が智学の法華精神論の虜になったことを論じている議論が極端に少ないのは、きっと賢治のような純粋きわまりない心情の持ち主に、戦闘的な青年仏教徒のイメージや法華国家主義のレッテルなど付与したくないからだろうが、ぼくなどはむしろそういう宮沢賢治だから、胸がつまるのである。

私もである。だからこそ、もっとこの人がどんな人であったのか、そしてそれを理解すればこの時代の雰囲気や感覚が理解できる思った。歴史は事実だけを拾ってしまうと、無味乾燥なことが多いが、人の目を通すと急に彩りがでてきて、その時代の人たちの気持ちを共有できるような気がする。
非常にいい指摘だと思ったのは、以下の文章。

賢治にクリスチャンの雰囲気があることは以前から指摘されていたが、この当時、ラディカル・ウィルの持ち主であるのなら法華経キリスト教国粋主義もその精神の裏地はまったく同じだったのだ。

納得である。
とにかく、また銀河鉄道の夜をよもう。で、もう一度この文章を読もう。そうしないとわからないことが多すぎる。