図説 東京裁判 ふくろうの本 (ISBN:4309760201)

東京裁判がいわゆる茶番に近いものだったことは右翼の論客も左翼の論客も同意することであろう。ただ右翼からすれば、そもそもの戦争の発端の責任がアメリカにあるといいたいだろうし、左翼からすれば天皇が免責された過程が明らかに米軍のやりたい放題だったことがいいたいだろう。
この本はどちらについても書かれている。まず、A級戦犯の選出過程が描かれる。その過程はいい加減だったらしい(これには異論が書かれた本もある)。たしかにA級というのは、別に「特に重い」というわけではなく、「平和に対する罪」だとかあいまいな罪であり、B級のような従来の国際法違反のようなものとは違う。ここでは、戦争指導者に対する罪と考えた方がいいだろう。ということはここに天皇がいないのはおかしな話である。しかし、マッカーサーはかなり早い段階で天皇を免責することに決めていたようだ。裁判長のウェッブは天皇を訴追したかったようだが、アメリカのキーナン主席検事はこれをなんとか切り抜けた。例えば東条英機元首相に対する一連のやりとりは、アメリカの意向に添ったものだった。キーナンは東条に感謝しなければならない。
逆に、天皇の意向に沿って指導したということを誇りとしていた東条はつらかっただろう。彼は詰め腹を切らされることになった。自裁するときに連合国側に醜い死に顔を見せたくないという理由で頭にめがけて拳銃を打たなかったというくらい、高い矜持をもっていた彼は何を感じていたのだろうか。
さて、意外に感じたのは、アメリカ人弁護団のがんばりがすごかったということだ。手を抜いても問題なかったはずなのに、彼らは最後の最後まで食い下がり、日本人弁護団よりもより明確にずけずけいったことが書かれている。おもしろい。
判決でインドのパル裁判官は全員を無罪にしたことは有名だが、他にもオランダの裁判官は何人かの被告は明らかに無罪であると主張したり、逆にフィリピンの裁判官は刑が軽すぎるといった(おそらく、絞首刑というのは軽いということだと思う)。
勝者による裁判であり、無理があった。公平とはいえず、なにか検察側にまずいことがあると裁判長はすぐに休廷して、適当な理由で弁護側の主張を却下した。
イギリスやフランスがやってきた植民地政策を考えれば、一方的に日本が悪いとするのはよくわからないし、そもそも罪刑法定主義という大原則に反している。しかし、あくまでも体裁を保ち、一種の政治ショーを演出することで、日本国民に軍部に問題があり、この責任はこの被告達に押しつければいいのだと誘導したかったのだろう。(あるいは天皇の免責を世界に印象づけたかったのかも)
アメリカはこの後、ベトナム戦争を起こすが、この戦争についても同種の裁判を行えば、どうなったのだろうか?ベトナム戦争はその発端であるトンキン湾事件からすべて、満州事変から日中戦争に至る経緯にきわめて似ていると思う。