米軍が記録したガダルカナルの戦い 草思社

ガダルカナルの戦いについての経過については別の本でも読んでいたので知っていた。しかし、この本はその経過を述べるだけでなく、米軍の従軍記者による写真をたくさん使用し、より視覚に訴えている。
他にも、下士官の人たちの日記や手記があり、戦いの過酷さを伝える。
当然ながら掲載されている写真は死体だらけである。目を背けたくなるような残酷なものが多くて、放送メディアなどではおそらく絶対に流せないだろう。ただ、この本をよんでいて、恐ろしく思えるのは、どんな残酷な死体写真でも、何度も見ていると慣れてくるということである。
一木支隊の夜襲が失敗し、河口に兵隊の死体が折り重なった状態で、朝日を浴びている写真がある。目は開いたまま。とても残酷な写真のはずなのだが、だんだん美しい写真に見えてくる。
本文にもある。初めは死体をおぞましいと思うようになるが、あまりにたくさん見ていると、それが普通になってしまい、何とも思わなくなると。
人間の感情というのはどんな残酷なことでも慣れてしまうことによって鈍くなってしまうのだろう。人を殺すということも、結局慣れることで罪悪感を感じなくなるのだろうか?
下士官の人たちの手記はとても痛切である。生き延びるために他の人を犠牲にして鬼にならざるを得なかった。飢餓の前にはどんな道徳も無価値なのである。手記の最後にはこうある。戦争は二度とやってはいけないと。あまりに無謀な戦争のつけは、こういう下士官が血をもって償わなければならなかった。