罪の意味

関西テレビによるドキュメンタリー。神戸で起きた少年による連続殺人事件に関するものなのだが、目新しいのは取材の対象が被害者の兄だという点だった。
事件の日、兄は弟の外出についていこうとしたが、試験前日と言うこともあり、一人で行かせてしまった。そこで弟は事件に遭い、少年に殺害され、首を切られる。そのことに兄は後悔してもしきれないという。
事件直後、兄は弟が帰ってこないので近所を探し回った。しかし、見つからない。次の日、父が険しい顔をして「今日は学校に行かなくても良い」といった。兄は何かがおこったことを感じたが詳しいことを聞くことができなかったという。
私も兄であり、弟がいるので、いろいろ思い出してしまった。被害者の弟さんはすこし言葉に遅れをもっていたらしく、よけいに兄は気を遣っていたようだ。いつまでも悔やんで罪の意識があるのもわからなくもない。
一方、加害者は公的に精神的なケアをうけることができ、先日、釈放され自由のみになったという。そのあまりの落差に、私もひどく暗い憎しみにとらわれてしまう。
しかし、父を亡くしてから私は感じるようになったのだが、とても親しい人が亡くなっても決していなくなってしまった、という気分にはなれない。なにかこう、どこかから見られているような感じだ。別に宗教的にどうということはなにもないのだが、そういう感覚を未だにもっている。
もちろん、そうであってほしいという欲望から未だに離れられないだけなのかもしれない。だが、そう思うと、前向きに、頑張る意欲がわいてくる。
とはいえ、弟を無惨に殺され、しかも加害者がまったくの自由のみになっているという事実は、重すぎる。兄は、弟の墓参りに行くと心の中が復讐心で満たされてしまうため、いけないという。こんなテレビを見ているだけの私でさえ、少しそう思うのだから、彼の心の中を察するに余りある。