Ten years after.

高校のクラス会に参加しました.平成元年卒ということで,平成X年のXから1を引けば,高校を卒業して何年たったのか,簡単に計算することができます.つまり,今年で18年.もうあと2年で20年になります.自分ではそんな感じはみじんもしません.最近遊んでいる周りの友達がみんな10歳下なことも影響しているのかもしれません.
18年もたつと,みんなすっかりかわって・・・という感じがしなかったのが,意外でした.みんなほとんどかわっていません.驚いたことに先生まであまり変わっていません.これからあと10年もすれば,みんなすっかり変わってしまうのかもしれませんが.
この日は,母校が生徒数の減少で閉校になるというお話と,タイムカプセルをあけるというイベントがあり,そのついでという感じで,簡単なクラス会をしました.
話していて気づいたのは,女性がすごくたくましく,しっかりしてきているということを感じる一方で,男の方は,どうも何も変わっていない,というかむしろ悪化しているような気がしました.父親になると人間は若干ユルくなるのかもしれません.
色々な話をしましたが,ほとんど学校の行事について覚えていません.体育祭,球技大会,文化祭,何一つ覚えていません.覚えているのは,休み時間にやっていた,ベネズエラ生まれの「ドミボール」のこととか,どうでもいいことばかり.みんなで協力して何かをしなければいけないようなことに,全く思い入れがなかった.というよりも,本当はそういうのも好きなくせに,ただひねくれていたのでしょう*1.だって,わざわざこんな行事に東京から帰省したりしているのだし.
ところで,タイムカプセルには「十年後の私」という題で,文章を書いて,それを埋めていました.すっかり忘れていましたが,読んでみるとそれなりに思い出してきました.
せっかくなので,原文を忠実に公開することにします.恥以外の何物でもありませんが,今の自分もどこか,この「空気の読めなささ」を引きずっているところがあるのが,哀れです.かなり「香ばしい」表現についても,何もいじることなく,自戒を込めて,全文を公開します.なお,誤字脱字,文中の括弧書きも含めてそのままです.

「私の十年後」

十年後の予測,こんなことは,占いでも使わなければ不可能である.
例えば,今の自分の状況を小学一年の僕が想像できただろうか.
絶対にムリである.指針さえ決まっていなかったのに.
だから,願望になってしまう.
二十七といえば,僕はようやく仕事にもなれてきて,それなりの仕事ができているはずであろう.
職種はそう・・・いろんなことをしてみたいからわからない.サリダしている(十年後にはこんなことばなど消滅しているであろうが)かもしれないし*2
大学へ行ってじっくり考えるつもりだ.
結婚はどうだろう.
自分としては妥協したくない.そんなに急がないつもりなんだけど.
それよりもっと大切なことがある.
我々の環境である.
核の恐怖,温暖化,酸性雨,砂ばく化によって人類はどうなってしまうのか.
逆に,超伝導リニアモーターカー,太陽エネルギー,バイオテクノロジーはどこまで進化しているだろう.
そして,さらにそれを越えるものができているかもしれない.すべて僕たちの生活に影響を与え,そして人生にも影響するかもしれない.十年というのは,まったく予想ができない程の重大なことがおこりうるのだから.(ベルリンの壁崩壊など誰が思いついたであろうか?そしてさらに十年後は?)
同じ題で,
「平凡な人生を過ごしているだろう」
そう書いた奴がいた.
しかし,二十一世紀へ向けて平凡な人生はどうやらおくれそうにない.いや,二十二世紀さえこないかもしれない.

二十二世紀の事を心配しても意味がないと思うし,とってつけたようなこの最後の段落は何を思ったのかわからないけれど,それはともかくとして,「一体君は何様のつもり」なのでしょう.
ただ,自分に関する文章が,今でも全く当たっているのが怖いです.まぁ,後半は,スペースが余ったので色々書いただけのことのようです.*3
これから,十年後は何をしているのでしょうね.
じゃあ,素敵な女性と結婚しているということにしておきましょう.
これが,封印したくなる過去にならなければいいけれど・・・.

*1:ちなみに同じ高校に進んでいた弟はかなりクラスを引っ張って,先生にも反抗したりしていて,生意気だったみたいです.私は生意気でしたが,ヘタレなので先生には反抗できませんでした.

*2:なかなか俺やるな,と思いつつ,すでに,当時でも死語だったような気もする.

*3:今見ると,超伝導だの,リニアモーターカーだの,科学技術ってあんまり進歩していないような.情報技術くらいでしょうか?大きく変わったのは・・・.