ウィルヘルム・シュテーケルのことば

日記サイトから以下の言葉を拾った。
The mark of the immature man is that he wants to die nobly for a cause, while the mark of the mature man is that he wants to live humbly for one.
訳すると、「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに対して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。」 だそうだ。
これを私は、「未成熟な人間は、挫折すると、目立つ死を選びたいと思うものだが、未成熟な人間は、目立たずに生きて行きたいと願うものだ。」 と訳してしまった。かなりの超訳?をやってしまったようだ。
causeというと、何か悪いことが起こることという意味だと思い、つい「生きていく上での困難な出来事」という意味で「挫折」としたが、「人々が支持したり戦う対象としての組織や考え」という意味があるらしく、上記のような訳が正しいということだ。
ここでいう理想とは、主に国家や地域社会というさまざまな組織やあらゆる不正義に対する正義のために死ぬってことなのだろう。なんといっても「高貴な死」なんだから、家族や恋人などの個人的な理由や、リストラなどの経済的理由で死んでいたら高貴でも崇高でも何でもないだろうから。
それを未熟だと切って捨ててしまうのは、外人らしい。*1たしかに、子供たちの方が「軍国思想」に染まりやすいし、戦後の一時期、「マルクス主義」という名の下に戦ったのも学生が中心だった。
学生から見ると、サラリーマンは「卑小な生をおくっている」ように見えるのだろう。ただ、家族のように「守るべき人」ができると、人はそんな抽象的な大義よりも家族という直面する組織を維持していかなければならなくなる。そうすると、正義とかのために死にたいとはなかなか思えなくなるのではないだろうか。
例えば、自爆テロの実行犯はほとんどが結婚をしていない若者だ。おじいさんが実行犯なんて聞いたことがない。むしろ人生は残り少ないのだから適任だと思うのだけれど。
つまり成熟するとは結婚し、子供を育てることなのだと思う。ということは私は全然成熟していない。まぁ成熟したからといって何か不便なことがあるわけではないからいいけれど。ただ、国家がこういう「未熟な人間の特徴である死」を称揚するようになると危険になるだろう。

*1:名前がドイツ人っぽい。この言葉にはナチスの反省の意味を込めているのか?