世界経済

  • 外国為替市場とは遠隔地の債権債務関係を同一地域で振り替えて決済する仕組みである。つまり輸出業者の債権と輸入業者の債務で相殺することである。これが市場になっている。
  • 当然ながら業者間で直接やりとりができないことが多いので、銀行がその代わりをする。このとき用いられるのが「為替手形」であり、支払いを延期できる「取立為替」と、先に支払いをする「送金為替」の2種類がある。
  • 一般的にこの銀行間での市場が狭義の外国為替市場である。銀行のディーラー同士の取引と、ブローカー経由で行う取引の2種類がある。また、中央銀行が市場介入を行う場合がある。
  • 為替レートは購買力平価(PPP:PurchasePowerParity)を均衡させるために変動する。長期的には物価、つまりインフレ率と大きな関係があるが、短期的にはより変動しやすい利子率との関係が重要になる。
  • 購買力平価とはアメリカと同じ財・サービスを受けたとき、1ドルあたりいくらなのかを計算したものである。例えばビッグマックがアメリカでは2ドル、日本では360円であれば、購買力は1ドルあたり180円となる。これを為替レートで割ると内外価格差を計算することができる。例えば1ドル=120円であれば、ビッグマックの内外価格差は1.5となる。
  • インフレが進んで、購買力が落ちると、それにつられて為替レートも変動するはずである。
  • 為替リスクを回避するために先物契約を行う。将来の取引のために契約をするもので、現在のレートが1ドル100円であったとして、将来に1ドル95円の先物売り契約をしておけば1ドル90円になったとしても為替差損をカバーできる。
  • このように外国の債権を持っている場合はドル安をカバーするために先物売りを契約する。これをショートポジション(売り持ち)という。逆はショートポジション(買い持ち)という。
  • 大恐慌によるブロック経済により不況が長引き、ついには第二次世界大戦を引き起こしてしまった反省から、1944年にIMF体制が確立した。これをブレトン=ウッズ体制友よぶ。原則として金ドル本位制度(ドルのみが金との兌換が可能)による固定相場制と、為替の自由化、短期資金の援助が行われることになった。
  • しかし、固定相場制は復興による国際流動性の増加により、ドル残高が増大する一方、アメリカの国際収支は赤字を続け、金の保有量が減少していった。ベトナム戦争が決定打となり、スミソニアン合意に基づいてドルの切り下げが行われた。しかし、それでもドルの低下は止まらず、変動相場制に移行することになった。
  • 金ドル本位制が崩れ、単なるドル本位制になった。ドルは基軸通貨なのですべての国の通貨市場を形成する必要はなく、ドルとの市場だけを作っておくだけでよい。これを媒介通貨ともよぶ。
  • このあと、エンロンの崩壊に関するビデオを見る。エンロンは本事業で失敗を続けているのにもかかわらず、株式の値上がりだけで企業を支えていた。いわゆる「とばし」を行って、決算の数字を底上げしていたのだが、その裏ではエンロンの巨大な献金による政治との密接な関係と、会計事務所であるアーサー・アンダーセンとの癒着があった。というもの。これを経済学者であるクルーグマンは「アメリカのクローニーキャピタリズム」(縁故にもとづいた資本主義)とよんだ。クローニーキャピタリズムといえばアジアの閉鎖的な資本主義を呼んでいたのだが、クルーグマンはそれを皮肉ったのである。