暗黒日記

今月からリングフィットアドベンチャーをはじめた。まだそんなにやっていないが、あまりに家に居すぎするので、ぼちぼちやっていこうと思う。

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戦前の人の日記を実際の出来事と比較しながら、見ていくのが面白い。当然、戦前の人なので、私たちとは価値観がまるで違うはずだが、この日記はまるで未来を見てきたかのような違和感が全くない日記である。

海野十三の「海野十三敗戦日記」と比較すると、面白い。対照的だ。小説家はどうしようもないと清澤は日記の中でいっていた。しかし、むしろ清澤の方が当時としては異常なのだ。

気になったところを書き出していく。

世界をユダヤ人と非ユダヤ人との二つに分つごとき單純な頭では、なに一つ解決はできぬ。ユダヤ人問題をいうものは、世界を複雜な形で論じ得ないものだ。この連中はモーゲンソー(米国の藏相)が、米国を参戰せしめたという。こういう單純な論理だから困る。

なんどもなんども繰り返して出てくる。戦前の知識人がいかにユダヤ陰謀論が好きだったのかがよくわかる。そして、それは「世界を極めて単純化して論じている」という。本当にその通り。今でも通用する。
誰か悪い人が、世界を悪くしていて、その人たちをなんとかすれば、よい世界になる。という考えは今でもあふれている。

重光は大のオポチュニストにて、今までとても軍部の色を見ては、ロンドンとモスクワから報告を書いていた。出世主義の尤なるものである。岸(信介)が居据ったのは満州ブロックのお蔭ならん。

重光の評価が低いことに驚いた。この後でもたくさん出てくるが、そこまで評価していない。まあ、もっとどうしようもない人たちがたくさん出てくるのだが・・・。

朝のラジオは「支那をあやつるのは米英である。蒋介石のみが取り残され、支那民衆は日本とともにある」といったことを放送した。この考え方は日支事変六周年になっても、まだ日本国民の頭を去らないのである。米英を撃破したら、支那民衆は直ちに親日的になるのか。支那人には自己というものは全然ないのか。

大東亜共栄圏の理念からはそう言わざるを得ないと思う。しかし、それがいかに空理空論なのか、自分の都合だけを考えている。日本ではそのような「絵空事」を、憲兵を使って強制できるのかもしれないが、あんなに広い中国で通用するはずがない。これでは、中国との和平はできず、日中戦争は続くわけだ。

H・G・ウエルズの The shape of things to come を読む。ウエルズは満州事変を出発点として、日本と支那は全面的戰爭になる。日本は支那に三度勝って、ナポレオンのごとく敗れる。それから日本は一九四〇年に米国と戰爭をするといった筋書きだ。

H・G・ウエルズの小説は、The Shape of Things to Come(邦題「世界はこうなる」)という小説で、当然発禁もの本のはずなのだが、清澤は読んでいる。

管理工場の社長を応徴士ということになった。応徴士服務規定によれば、
 事業主たる応徴士は、生産遂行の全責任を負荷せしめられたるの自覚に徹し‥‥戰力増強の責を果すべし
とある。政治もここまでくれば、滑稽を通り越して、子供の玩具である。彼らは社長を役人化して宣誓させれば、それで能率があがると考えているのである。
例のウエルズの書の中に「日本の当局者の頭脳は、狂人に近いもの」と言った意味のことあり。いかにも鋭く穿っていると感ぜざるを得ない。


こんなことをやっていたとは。そして、全く意味がない。
あと「穿つ」の正しい使い方だと思った。

アッツ島の山崎大佐が二階級とんで、中將になる。昨夜のラジオも新聞もそれで一杯、他の記事は全然ない。軍の命令であることは明らかだ。「鬼神も哭く」式の英雄は、もう結構である。願くば今後「玉碎的美談」出ずるなかれ。そして、作戰をして左樣な悲劇を繰返すごとき方途をとらしむるなかれ。

なかれ=することがないように、という意味だが、言外にそれは無理だろうという詠嘆があらわれている。

バドリオ政権の降伏から、日本の新聞はイタリアへの惡口が始った。例によって例のごとしである。
 白鳥などが新聞で談話を発表している。しゃあしゃあとして、「イタリアの任務終る」などという。言う者も、言わせる者も、健忘、驚くの他なし。
 毎日の論説には、「イタリアの降伏は、第一に今後戰線の整理がドイツの都合次第で行われる便があり、第二に足手まといのイタリア軍を計算に入れて作戰をたてる必要がなくなり、第三に貧国イタリアに武器、軍需品、石炭などを供給す

海野十三の日記には裏切り者のバドリオ政権が罵倒する文章がでてくるが、当然だが清澤はイタリアを持ち上げてきた白鳥大使などがそんなことをよく言えたものだとあきれている。新聞、すなわち当時の情報局(内閣直属の機関)は、イタリアはお荷物だからよかったと。むちゃくちゃな論理だが、もう、そういうしかなかったのかもしれない。みんな内心ではもうだめなことを理解しはじめたと思うのだが、必勝の信念ががたりないこともおおっぴらには言えなかったのだろう。だが、そういう現実を直視せずに、信念だけで何かを成し遂げようとするのは、個人の努力だけでなんとかなるものであればよいが、政治家や軍の上層部がそういう考えであれば、物量で押してくる国家に押しつぶされるだけだ。

重臣が東條を招待した。そのとき岡田啓介(海軍大將、二・二六事件当時の首相)が「戰爭はどこもパッとしないようだが」というと、東條は興奮して、「あなたは必勝の信念がないんですか」とプッと立ったという。
 また、若槻礼次郎(元首相・元民政党総裁)が、「作柄が心配だ」というと、東條は、「われら閣員は何を食わなくても、一死奉公やるつもりだ」と、これまた興奮したという。

東条というひとが真面目なことはよくわかる。そして、心を(精神を)正しく保てば、何でも叶うだというということを信じている。しかもそれは本心からなのだろう。逆に言えば、だからこそ、どうしようない。学校の先生にでもなっておけばよかったのに。

読売に風邪もユダヤ人の謀略であるという記事がのっている。それは秋田重季子爵の談だが、それには、「私の担当はユダヤの医学講演で、ユダヤ人医師は次から次へと病気をつくって、世界にバラまいている。こんどのイギリス風邪とか、チャーチル風邪も、ユダヤの製造に相違なく、彼らは現在借家人のくせに、大家の米英も毒殺し、あわせて世界中をやっつけてユダヤの天下を築こうという魂胆だ。これを断固として叩きつぶすのは、日本人の強さあるのみである」という。噴飯ものだが、これが現代日本の知的標準である。

すごい話だ。こんなことを貴族が考え、それが新聞に載るという。悪夢である。
しかし、人は正しいことを信じるのではなく、信じたいものを、すがりつきたいものを信じるだけなのだろう。

白柳秀湖が手紙をよこした。彼は、「徳義がすたれれば、戰爭に勝っても国が亡びる。国家永遠のためには、敗戰したほうがいいかも知れぬ」という。ここで彼は誤謬を犯している。第一に戰爭は何よりも道義心を破壞するものだということだ。第二はその戰爭の責任者は誰なのだ。彼や徳富蘇峰などが、最も大きなその一人ではないか。日本歴史や日本精神をムヤミに誇張し、相手の力を計らなかったのは彼らではないか。

戦争が道義心を破壊し、人の悪意を増長させるものだということ、人に対する哀れみを失わされることを述べている。もちろん中には立派な人が居ただろう。しかし多くの人は苦しみ、そして、治安は乱れ、後の日記にも出てくるが、人のものを盗んだり、善意を踏みにじる心のない人が増えていく。それが「ふつうの人間」なのだ。「ふつうの人間」を前提としない政治は悪夢だ。

日本には不敬罪がいくつもある。一、皇室、二、東條、三、軍部、四、徳富蘇峰――これらについては、一切の批判は許されない。

徳富蘇峰にも何度も批判をしている。それはつまり、いかに戦前のメディアが彼を頼っていたかがわかる。蘇峰も戦後の日記を出版し、私も読んでいるが、彼の考えというのがどうしても飲み込めない。彼の本心もわからない。

徴用者がむやみに多すぎ、どの工場も人間が遊んでいる。ここ半年ぐらい徴用をいっさい打ち切れと言ったら、大藏省の役人も賛成したという。

つまり、徴用して軍需工場に連れて行っても、仕事がないという。
国家が旗を振って、経済を動かそうとしてもうまくいかない。この頃の日本は官僚主導のまさに「社会主義国家」だ。ファシズム政権だから当然か。

戰爭というものの力を見よ。一晩のうちに何十万戸を燒きつくし、さらに残ったものを一片の命令書で取り壞すのである。米国の戰後処分をまたずして、すでに日本は日清戰爭以前の資産状態にかえりつつある。
 戰爭は文化の母なり、と軍部のパンフレットは宣伝した。それを批判したから、われらは非国民的な取扱いをうけた。
 いま、その言葉を繰返して見ろ! 戰爭は果して文化の母であるか? 恐るべき母。

「恐るべき母」???なぜ書いたのだろう。

沖繩の戰況がよいというので各方面で樂観続出。株もぐっと高い。沖繩の敵が無條件降伏したという説を、僕もきき、暸もきいた。中にはアメリカが講和を申し込んできたというものがある。民衆がいかに無知であるかがわかる。が、この種のデマは日本中に根強く伝えられているらしい。

沖縄戦が絶望的な状況になっているのに、楽観的なことを言う人が増えているという。もはやデマにすがりつきたいだけである。日記にはこのような記述は何度も出てくる。また、海野十三の日記にも、どんな状態でも楽観的なことを言う人がいたようだ。海野自身もそれを信じたいから日記に書いたのかもしれない。また、それを信じることが当時は、美徳とされていたのかもしれない。つまりデマにすがることが「必勝の信念」なのだ。だが、あえていえば、事実を冷静に判断できないから、それはほぼ必敗に繋がる。

今でも薄い根拠で自分の希望と予測を間違えている人たちがいる。そして、それらを信じたいがためにその主張を支持する。それは今でも何も変わらない。都合が悪い事実こそ、一番重要なことなのに。

日記は突然5/3で終わる。ヒトラーが自殺したところだ。清澤はこの後に唐突に肺炎で死ぬ。日記を見ると彼は戦後にこの日記を元に歴史を著述したかったようだ。どういうものにになっていたのか、見てみたかったが。

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